2011年10月29日土曜日

平成ガメラ三部作 - 金子修介(1995、96、99)

 映画は絵空事だから、怪獣が東京タワーを折ろうが大阪城を壊そうが誰もそれを恐怖だとは感じません。それで自分の住んでいる町が壊滅したり、友達や親戚が死ぬとは思えない。「もっと壊せー」と快哉を叫ぶ人も出るほどです。
 絵空事だった怪獣映画に、できる限りのリアルを求めた点で平成ガメラ三部作は新鮮でした。「怪獣も腹が減れば人間を食べるんだなぁ」などとそのリアルな描写に感心して見ていると、マスコミが大騒ぎをしているにも関わらず遠い世界の出来事のように聞き流して、そのあげくに怪獣被害に巻き込まれてしまう人たちの姿が映し出され、「あっ、これって今の俺?」と気づかされたりするのです。
 三作目の「ガメラ3 邪神(イリス)覚醒」(1999)の主人公は、一作目の「ガメラ 大怪獣空中決戦」(1995)の際に、ガメラとギャオスの闘いに巻き込まれて両親を亡くした少女です。ガメラはギャオスやレギオン(「ガメラ2 レギオン襲来」(1996))を倒した正義の味方なんじゃないか、と問う友人に対して、「あんたもガメラに家を壊されて大事な人を踏みつぶされてみなさいよ」とガメラへの憎しみをあらわにします。
 「街中で怪獣が戦えば、悪気はなくてもたくさんの人が巻き込まれて被害に遭う」という現実とともに、たとえ正義であっても強大な力には功罪相半ばした危険がつきまとう、ということを思い知らされるシーンです。
 福島原発事故のニュースに接した時、彼女の怖い顔が脳裏に蘇りました。
 「あんたも原発に家を奪われて大事な人と離ればなれになってみなさいよ」と。

2011年10月26日水曜日

Dancer in the Dark - Lars von Trier(2000)

 気持ちの整理をするのに、エンドクレジットの時間だけでは足りません。「ノーマンズランド」と同様、この映画も、見終わったあと言葉を失って立てなくなる映画です。
 目の悪い(やがて失明する)母が、同じ病に冒されている息子の手術代のために爪に火をともす苦労をして貯めたお金を信頼していた隣人に盗まれ、誤ってその隣人を撃ってしまったことから死刑になってしまうと言う話。減刑に値する事情がいくらでもあるのに、彼女は一切の弁明をせずに刑を受け入れるのです。
 同監督の1996年の作品「奇跡の海」は、下半身不随になった夫を救うために見ず知らずの男たちに身を任せ、そのあげくに命を落とす女性の話でした。
 共通しているのは、愛する人のために自分の命すらも投げ出す主人公の姿です。
 しかしながら、同じ「献身」であっても、例えば身を挺して津波から人々を守った人たちのような英雄的なそれとは明らかにその形が違います。彼女たちはそれで報われるのでしょうか。その愛を受け取った人々は、本当に救われるのでしょうか。なかには、彼女たちを愚か者だという人もいるかもしれません。そんな悲しいことがあって良いのでしょうか。
 宗教観の違いなども関係しているのかもしれませんが、人によってはただ辛いだけの映画になってしまうでしょう。
 ビョークの歌が好き、なんていう軽い気持ちだけでは観ないようにお勧めします。

2011年10月24日月曜日

No Man's Land - Danis Tanović(2001)

 昨日に引き続きボスニア紛争の話です。 戦争(紛争)の理不尽と不条理を、こんなにも痛感させられる映画は観たことがありません。
 セルビア軍とボスニア軍が相対する前線の中間地帯(ノーマンズランド)に取り残された二人のボスニア兵士とセルビア兵士が一人。二対一ならさっさとセルビア兵を倒して部隊に戻れば良さそうなものですが、ボスニア兵の一人は地雷の上に寝かされて身動きがとれない、という絶望的な状況で話が進みます。
 自国を勝利に導く英雄の誉れも、運命に翻弄される母子の悲劇も、ましてや極限状態の中でいつしか芽生える敵対関係を越えた愛や友情もここにはありません。見終わって感じるのは救いようのない虚脱感とやるせない思いばかり。
 コメディの形をとっていることが救いになっている一方で、またそれがかえって、真実に肉薄し戦慄を呼び起こす結果にもなっています。
 戦場から遠く離れた異国の街で声高に反戦を叫ぶ人たちも、家に帰れば幸せな家族に囲まれて平和な時を過ごすのでしょう。その夜の夢には戦場の悲しみも苦しみも、その影すらも現れないにちがいありません。そんなことで良いのかよ、と毒づいてみたくなる、でも自分だってわかってないじゃないかと反省する。見終わると、そんな思いが頭の中でぐるぐると回って止まらないのでした。

2011年10月23日日曜日

ユリシーズの瞳(To Vlemma tou Odyssea) - Theodoros Angelopoulos (1995)

 1991年のスロベニア・クロアチア独立宣言に始まるユーゴスラビア紛争は衝撃でした。
 それまで「戦争」は知っていましたが「紛争」というものがどういうものか、実感として認識できていなかったのです。
 たとえば大阪が日本から独立を宣言したとして、隣の家に住む大阪出身の家族に、昨日まではにこやかに接していたのに一変して銃を向けるということがあるのでしょうか。ランチに出かけると、「東京のうどんは汁がドブみたいな色してるで」と言った大阪人がその場で射殺され、その報復にそば屋が襲撃されて店主が道に引きずり出されて暴行を受ける、なんていう光景を見ることがあるでしょうか。それに端を発して、商店街は銃撃戦の舞台になり、建物は破壊され多くの血が流される。そんなことが想像できますか。
 この映画の終盤に主人公は霧に覆われたサラエボの街を歩きます。霧の中で出会う人たちは、争いなんかどこでやっているの?という顔をして散歩を楽しんでいる様子。銃声も爆発の音も聞こえません。一組の家族が彼を追い抜いていきました。ところが、霧の中で一人になった彼が次に見たものは、みどりの草地の上に死体となって横たわるその家族の姿だったのです。おそらく、霧の中でセルビア人に出会って殺されたのでしょう。殺人事件ではなく、紛争(戦争)の結果として。その静かな死に、ユーゴスラビア紛争の中でも最も悲惨だったボスニア・ヘルツェゴビナのリアルを見た気がしました。
 たくさんの戦争映画やニュース映像を見てきましたが、この霧の中の死体以上に恐ろしく、悲しいものは記憶にありません。

2011年10月22日土曜日

鉄塔 武蔵野線 − 銀林みのる(1994)

 冒険のはじまりは何かを辿ってみること。例えば川の源流を探したり、鉄道路線の終点まで行ってみるとか。それは旅や散歩でも同じこと。
 それに何かを集めることが加わると、楽しさが倍増します。キロポストを拾いながら多摩川サイクリングロードを走るとか、スタンプラリーで鉄道全駅のスタンプを集めて完乗するとか。
 ある夏の日、少年の冒険は「75−1」という番号が付けられた高圧鉄塔から始まります。電線(武蔵野線)に沿って74、73、72、…と鉄塔を数え、友達と二人、1番の立つ(はずの)原子力発電所を目指して自転車を走らせて行きます。
 冒険の過程で、少年たちは様々な困難を乗り越え、多くの人とふれあい、新しい経験を積み重ねて成長していく、 というとありきたりですが、実はそんなことはこの本の中ではどうでも良いこと(!?)なのです。
 ほかの作者なら、「30番台を過ぎ、20番台をクリアしていくうちに、高かったはずの夏の太陽は西の地平線の間際まで近づき、23番に着いた時にはもう番号表示がほとんど見えなくなっていた。」みたいな感じで、冒険を(中略)とすることでしょう。ところが、この本では律儀にすべての鉄塔が描写されるだけではなく、実際の鉄塔の写真までが丁寧に付されているのです(わたしの持っている新潮文庫版より、新装なったこのソフトバンク新書版の方が、写真が充実しています)。
 鉄塔なんかに興味はなくても、この「鉄塔LOVE」な一途さについつい引き込まれて読了してしまう。そして、自分も鉄塔巡りをしてみようかなと、ふと思ってしまう、そんな不思議な小説です。

2011年10月17日月曜日

Piano de Bossa - Febian Reza Pane(2009)

 職場でBGM係をやっています。というか、そのつもりはなかったのですが、たまたま去年のクリスマスシーズンにわたしのクリスマスライブラリをiPodにいれて持っていったら、そのiPodがそのまま職場のBGM用になってしまいました。
 歌ものはダメだというので、イージーリスニングやおとなしめのJAZZなどを選曲して流しています。いつも同じ曲ではつまらないので、プレイリストをいくつか設定して適宜切り替えているのですが、気がつくと誰かが選曲を変更してこのアルバムが流れていることが良くあります。職場では超ヘビーローテーションのアルバムです。
 ボサノバの定番曲やボサノバアレンジの映画音楽をピアノトリオの洗練された演奏で聴かせてくれます。流れていても気にならないぐらいさりげないのに、聴きはじめると耳を澄まして聞き入ってしまう不思議な味わい。聞き流しても、じっくり聴いても、まったり、ほっこり、リラックスできること請け合いです。

2011年10月15日土曜日

川の名前 - 川端裕人(2004)

 私たちが住んでいるこの土地に雨が降ると、その水は必ずどこかの川に流れていきます。地表を流れていく場合もありますし、地面に染み込んだものは地下水脈を通して、下水に流されたものも処理場を経てどこかの川へ運ばれます。
 下水場に行ってしまうものは定かではありませんが、自然に流れていく限り、その行く先は同じ川。その川の名前が、その土地の住所になる、というのがこの本の題名の由来です。 「調布市」という住所は人間にしか通じませんが、「地球・日本列島・多摩川流域野川沿い」ならば動植物を含めて誰にでも通じる住所になると言うわけです。
 少年たちの一夏の冒険を描いたこの本は、乱暴にまとめてしまえば「映画「E.T.」(1982)と「スタンド・バイ・ミー」(1986)を合体したようなお話」なのですが、舞台となっている「川」に対する登場人物たち(もちろん作者含む)の関わり方と思い入れの描き方が素敵な小説です。
 「自然を大切に。川をきれいにしよう。」とよく言いますが、「なぜ?」と問われるとうまく説明できないものです。川の名前を考えることが、その意味を教えてくれるような気がしました。
 喇叭爺のこの言葉が心に残ります。
 『足もとを見よ、川の名前を考えよ、そして、遠くへ旅立ち、いずれ戻ってこい』

2011年10月3日月曜日

恐竜100万年(One Million Years B.C.) - Don Chaffey(1966)

 昨日(10/2)閉幕した「恐竜博2011」(国立科学博物館)には、3ヶ月の会期中に58万8252人の来訪者があったそうです。わたしも怪獣や恐竜が大好きなので、子供の頃はよく科学博物館に行きました。
 そんな小学生時代、新宿の東映会館(たぶん)に家族で見に行った恐竜映画です。わたしは「サンダーバード」(有人火星探査ロケット「ゼロ-X号」が登場する劇場版第一作目)を見に行ったつもりだったのですが、劇場に着いてみるとこの映画との二本立て。結果的にはこっちの方が思い出に残っています。着ぐるみの日本怪獣とは違って、ストップモーション・アニメーションで撮影された恐竜の動きはリアルで、特にトリケラトプスとケラトサウルスが対決するシーンの印象は強烈でした。
 恐竜研究(とCG技術)が進んだ現在では恐竜の描き方が随分と変わりましたが、「ジュラシック・パーク」が世に出るまでは、この映画が恐竜映画の最高峰でしたね。
 原始人の衣装(!?)で肉感的な肢体を惜しげもなく見せていたヒロイン、ラクウェル・ウェルチが良かったのか、父親が機嫌良く、帰りに「追分だんご」に寄りました。それまで、おやつのみたらし団子しか食べたことがなかったので、ビルの中の団子屋で高級な(?)団子を食べる、という経験に衝撃を受けたことを思い出します。

2011年10月2日日曜日

カンフーパンダ(Kung Fu Panda) - John Wayne Stevenson/Mark Osborne(2008)

 この映画を映画館で観たときには感動しました。
 ストーリーもそれなりに感動ものではあるのですが、それよりも何よりも、劇場内の子供たちの素直な反応に胸を打たれたのです。
 大人になって、あまり大きな声で笑わなくなりました。デブで食い意地の張ったパンダがおかしなことをしてもちょっと唇の端を曲げてみるぐらい。多少怖いシーンがあっても、特に息を詰めたりはしません。
 ところが子供たちの反応は素直です。笑う場面ではドカンどかんと笑い声が爆発し、悪役が登場する緊迫したシーンでは水を打ったように静まりかえります。カンフー対決のシーンでは悲鳴や応援のかけ声が場内に渦を巻いて大変な騒ぎでした。
 「ニューシネマパラダイス」の中にも、観客たちが一体となって映画を楽しむシーンがありました。 そういう、一人でDVDを見る時には決して味わえない映画ならではの感動体験を思い出させてくれたのが、この映画だったのです。
 ジャッキー・チェンのカンフー映画が好きな方なら、お話そのものも楽しめるはず。子供だましの漫画映画と思わずに、できれば大勢の子供たちと一緒に観てください。

The Driver - Walter Hill(1978)


 強盗を逃走させるためだけに雇われた「ドライバー」をライアン・オニールが演じる、その名も"The Driver"。
 深夜のロサンジェルスを疾走するカーチェイスのシーンが見所なのはもちろんですが、プロ意識の高いthe driverが、気に入らない依頼人の車を超絶のドライビングテクニックでボコボコに壊してしまうシーンや、ただ逃げるだけではなく、最後はチキンゲーム(※)できっちりと決着を付けるところなど、男の美学みたいなものが表現されていて、古い時代劇や西部劇を観ているような気分にさせられます。
 無駄口を叩かない登場人物たちには名前もなく、屈折した過去や一夜のロマンスみたいな余計な味付けもありません。無駄な景色の映り込まない夜の街を舞台に、裏世界の駆け引きが淡々と語られていきます。「ハードボイルド」とはちょっと違うかもしれませんが、ドカンボカンとけたたましいだけの昨今のアクション映画にはないクールな味わいが忘れられない映画です。
※ チキンゲーム : 正面衝突覚悟で両側から猛スピードで車を走らせ、先に逃げた方が負けという決闘シーン