2012年1月16日月曜日

大誘拐 RAINBOW KIDS - 岡本喜八(1991)

 犯罪映画の面白味は「痛快」の一言に尽きます。まるで手品のショーを見るように、鮮やかな手さばきでだまされると、それが悪いことだとは分かっていても拍手喝采を送ってしまいます。
 人が死んだり物が壊されたりするような殺伐としたシーンがなければ、なお良いですね。
 スリとか窃盗とかのつまらない仕事で刑務所暮らしをしたチンピラ三人組が、人生をやり直す大勝負にと、和歌山の山林王・82歳の刀自(おばあさんの敬称)を誘拐する計画を立てます。誘拐が成功し身代金に5、000万円を要求しようとする犯人を、「見損のうてもろうたら困るがな」と一喝して100億円に値上げさせる刀自。なんと、刀自自らがリーダーとなって身代金奪取作戦が実行されるのです。
 刀自を演ずる北村谷栄、刑事役の緒方拳。名演でした。DVDのジャケット写真は二人の合成写真になっていますが、全然違和感がないのが不思議です。そして、鮮やかな手口でまんまと身代金を手に入れる犯人たち。一人の人も死なず、傷つかず、誰も損をしない(?)のが良いですね。その後のエピソードも気が利いています。
 個人的には、日本の犯罪映画史上に残る大傑作と言いたい。そんな作品です。

2012年1月15日日曜日

運動靴と赤い金魚(Children of Heaven) - Majid Majidi(1997)

 イランの映画です。
 この記事を書こうとして、初めて原題(英題)を知りました。「天国の子供たち」。まさにそのとおりの明るく無垢な子供たちの姿に感動します。近年の欧米諸国との対立やイラン・イラク戦争の殺伐とした状況を見ると、とても同じ国の子供たちとは想像できません。その落差に驚きます。
 物語は一足のぼろぼろな運動靴を巡って進んでいきます。現代の日本では想像できないような貧しさのなかで暮らす子供たちのお話です。かつては、日本にもこんな時代がありました。豊かさと引き替えに、わたしたちは何かを失ったんじゃないかな。そんなことを思い起こさせられます。
 だからと言って、貧しくても良いと言うわけではありません。 何とかして彼らを助けてやれないものかとやきもきします。クライマックスのマラソン大会。妹に履かせる靴を勝ち取るために、兄は懸命に走ります。「ガンバレ!」と思わず声が出ます。
 その結末はここでは伏せますが、ラストシーン、走り終わった兄がほてった足を金魚の泳ぐ噴水で冷やすシーンにジーンと来て、泣き笑いになりました。

I Am Sam - Jessie Nelson(2001)

 去年は子役の芦田愛菜ちゃんが話題になりました。
 それで思い出したのが、この作品。子役のDakota Fanningの演技が光っていましたね。アカデミー主演男優賞にノミネートされたSean Pennも顔負けの演技でした。
 知的障害のある父親と、父親の精神年齢を超えてしまった娘。そこに、息子との関係に悩むシングルマザーの弁護士が絡んで、ふたつの親子がそれぞれの問題を乗り越えていく物語が語られていきます。主人公とその友人たちはビートルズが好きだと言う設定で、全編を彩るビートルズの音楽(様々なアーチストがカバーしています)が素敵です。
 子役頼みのずるい映画、みたいに言う人もいますが、重くなりがちなテーマを、コメディに逃げることなくうまく表現していてわたしは好きです。
 もちろん、結末はハッピーエンド。あぁ、良かった、と胸をなで下ろして幸せな気持ちになるでしょう。

2012年1月14日土曜日

Fanboys - Kyle Newman(2008)

 "May the force be with you."
 外国の方に挨拶する時、"Good luck."や"Have a nice day."の代わりにこの台詞を使ってみたいと常々思っているのですが、変でしょうか。
 わたしは特にSTAR WARSマニアと言う訳ではありませんが、学生時代から社会人になりたての頃に、リアルタイムに旧三部作を見てきました。わたしを含め、同年代の人たちには、この映画から少なからず影響を受けたり、何かしらの思い出を持っていたりする方が多いのではないでしょうか。
 この映画は、旧三部作完結後16年ぶりに発表される新作(Star Wars Episode I: The Phantom Menace)を、末期がんに冒されていて映画の公開まで生きられない仲間に見せようと、STAR WARSオタクの青年たちがルーカスフィルムの本拠スカイウォーカーランチを目指して旅をする物語です。ストーリー云々よりフィルム全体にまき散らされたパロディーやカメオ出演するスターたちを楽しむ映画ですね。熱烈なファンでなくても楽しめるポイントが目白押しです。
 年齢的に見て、主人公たちは旧三部作をリアルタイムには見ていない可能性があります。ラストシーン、初めて劇場でSTAR WARSを観た彼らの反応にニヤリとさせられます。

Capricorn One - Peter Hyams(1977)

 先日、職場で事件がありました。4つある監視カメラのうちの一つ(仮に2カメとします)が止まってしまったのです。そのカメラの映像として、ある時点での誰もいない静止画が延々と映し出されていたのですが、元もと人の出入りの少ない場所なので、しばらく誰も気づかないままになっていました。
 その結果どうなるかというと、4面に分かれた映像を見ていると、1カメに映った人が2カメのエリアに来ると消えてしまいます。あるいは、その先の3カメに突然人が現れてビックリします。四六時中監視カメラの映像とにらめっこをしているわけではないので、ちょっと目を離している隙に2カメの下を通り過ぎてしまったのだろう、と思っていたのですが、あまりにも人が消える事件が続くので同僚にカメラの下を歩いてもらって原因を突き止めました。
 驚いたのは、わたし以外の誰も人が消えると思っていなかったこと。みんな、カメラを信じ切っていたのです。監視カメラの映像をすり替えて、その裏で銀行強盗などを働くというトリックがありますが、まさか自分たちがそれを体験することになるとは思っても見ませんでした。
 この映画では、地球で撮影した映像が火星からのライブ中継と偽って全世界に配信されます。その秘密をめぐって、NASAと宇宙飛行士、そして、その秘密を暴こうとする新聞記者がサスペンスドラマを繰り広げます。国家の陰謀と善良な市民の闘い。アメリカ映画はこう言うのが好きですよね。実際に、アポロ11号の月面着陸を特撮による陰謀だと信じている人たちもいるそうです。
 CG全盛の今なら、似たようなことがどこかで本当に起こっているかもしれません。あるいは、この映画とは逆に、「見せない」ことによって真実を曲げて伝えている例が実際にあるのではないでしょうか。
 ラストシーンは、この手の映画の中では白眉だと思います。こう言うのが、わたしは好きです。

2012年1月13日金曜日

バグダッド・カフェ(Out of Rosenheim) - Percy Adlon(1987)

 「シェーン!カンバァーック!」
 子供の頃、TVでよく観た映画です(Shane - George Stevens(1953))。行きずりのガンマンが悪者に苦しめられている家族を助け、そして去っていく話。小さな町や村によそ者が来てその土地や人々に変化をもたらしていくというモチーフはよく取り上げられる定番ですね。
 夫婦げんかをしてアメリカの荒野に置いてきぼりにされたドイツ人の女性(ジャスミン)が、「バグダッド・カフェ」に立ち寄ります。しばらくの滞在の間に、不機嫌な女主人と対立しながらも、その人柄で、そこに集う人たちの暮らしを少しずつ変えていきます。でも、本当に変わったのは彼女自身だったのでは?
 シェーンは帰ってきませんでしたが、ジャスミンは帰ってきました。パリはトラヴィスを救ってくれませんでしたが、バグダッドはジャスミンを温かく迎えてくれたのです。
 アカデミーにノミネートされた主題歌"Calling you"のせつない響きが耳から離れません。

Paris,Texas - Wim Wenders(1984)

 パリとテキサス、ではありません。二つの地名ではなく、テキサス州パリスという町の名前。でも、二つの地名としての意味も匂わせている、そんな感じがします。
 「パリ」から想起される「女性的」「華やか」「繊細」「奔放」などのイメージと、「テキサス」に付随する「男性的」「武骨」「粗野」「不器用」といったイメージの相容れない悲しさを、ヨーロッパの女優とアメリカの男優が演じ分けています。
 主人公トラヴィスは、いつか家族と住む家を建てようと思って買ったテキサス州パリスの土地のポラロイド写真を大事に持っています。しかしそこに写っているのは、荒野の真ん中に立つみすぼらしい看板だけ。お世辞にも、スイートホームを建てるようなところには見えません。
 オープニングのシーンでトラヴィスがさまようテキサスの荒野とポラロイドに写っているなにもない場所は、そのまま彼の心象風景でもあるのでしょう。映像に絡むライ・クーダの音楽が絶妙です。
 父と子が、別れた妻・母を捜して旅に出ます。最初はぎこちなかった父子の関係が道行きの中で修復され、お互いの傷を乗り越えて幸せな家族になっていく。ダメ父は立ち直り、子供は一回り大きく成長して自分の進む道を見つけて歩み始める。アメリカ映画ならそういう展開になりそうですが、ドイツ映画ではそうなりません。トラヴィスは今も荒野を歩いています。
 カンヌ映画祭でグランプリを取り、日本でも高い評価を受けましたが、アカデミーにはノミネートもされませんでした。アメリカ人には分からない映画、…なのかもしれません。

2012年1月10日火曜日

ギルバート・グレイプ(What's Eating Gilbert Grape) - Lasse Hallström(1993)

 アメリカに行った時、飛行機から、だだっ広い砂漠や農場の中にポツリポツリと家が建っている風景をたくさん見ました。一軒家だったり、数件が集まった町だったり。日本でそういうところがあれば老人ばかりの過疎の町であることが多いでしょう。でも、アメリカではそんなところに普通の家族が暮らしています。
 そんな町の一つ、年に一度、キャンピングカーの一団が通り過ぎるアイオワの小さな町に住む家族の話です。
 知的障害を持つ弟や過食症の母の面倒を見なければならないために町から出られない主人公。でも、出られないのではなく、自分から出ようとしないだけなのでは?それで良いのかギルバート。君はもっと広い世界を知るべきなんじゃないか?
 ここには、アメリカンドリームも和解すべき家族もありません。少し波風はあるけれど穏やかな日常。でも、ここは過疎の村ではありません。若い人が住んでいる町。思い出に抱かれて毎日を暮らすわけにはいかないのです。未来がある若者の訣別と旅立ちを、スウェーデン人の監督が温かくやさしいまなざしと静かな語り口で描いています。
 なるほど、空から見た町にはこういう生活があったんだね。
 若き日のレオナルド・デカプリオの演技が鳥肌ものです。

2012年1月8日日曜日

Field of Dreams - Phil Alden Robinson(1989)

 夢は必ず実現する。アメリカ映画のお決まりのテーマですね。
 そしてもう一つ。繰り返し描かれるのが「家族との和解」。父、母、兄弟、妻、夫、子供。和解できないままに長い年月を過ごしてしまった(時には永遠に別れてしまった)ことをくよくよと悔やんでいる姿は、あの自信満々で鼻持ちならない(偏見ですか、すみません)アメリカ人と同じ人種とは思えません。
 神の声(?)に導かれ、とうもろこし畑をつぶして野球場を作ってしまう男の話。そんな馬鹿げた夢を家族が支えます。家族愛、これもアメリカ映画の定番ですね。その球場にシューレス・ジョー・ジャクソンをはじめとする往年の野球選手たちがやってきます。しかし、彼が実現させた本当の夢は球場を造ることではありませんでした。
 静かな語り口でストーリーが進んでいきます。手に汗握るアクションシーンや熱いラブシーンに馴染んだ最近の人のなかには物足りないと思う人もいるかもしれません。でも、この映画を悪く言う人には今だかつて会ったことがありません。
 いくつかの心温まるエピソードの後に迎える映画のラスト。出来上がった野球場で主人公がキャッチボールをするシーンでは涙が止まらなくなってしまいます。その相手は、和解できないままに永遠に別れてしまった父。
 ところで、今手に入るDVDのジャケットのデザインは壊滅的に酷い出来で腹が立ちます。ケビン・コスナーが得意げなポーズで立っているだけ(たぶんアメリカのオリジナル版)ではこの映画の魅力が一切伝わってきません。日本公開時のポスターに使われていた、アイオワの広い空の下に主人公の家族を配したデザイン(たぶん日本オリジナル版)にあふれる幸福感こそがこの映画の魅力だと思うのですが、皆さんはどう思われますか。

2012年1月7日土曜日

Easy Rider - Dennis Hopper(1969)

 BLOGに書きたい映画や音楽がたくさんあるのに、昨日も書いたとおり、思い出せないものばかりで困ります。そう思っていろいろ考えていたら、この映画を思い出しました。
 たぶん高校の頃にTVで一回見たきりなのですが、思い出してみると次から次へと場面が目に浮かんでくるぐらい印象的な映画でした。とは言え、今の今まで忘れていた訳ですからバカボンのパパの言葉を借りれば、「忘れようと思っても思い出せな」かったということですね。
 当時のヒッピー文化を背景に「自由の国アメリカ」の若者を描いた映画の代表のように言う人もいますが、有名なラストシーンはそれを否定しています。あの場面もさることながら、わたしが鮮明に憶えているのは、主役の二人ではなく、ジャック・ニコルソン演ずるアメフトのヘルメットをかぶった男が殺されるくだりです。アメリカは、実はものすごく保守的な「自由が嫌いな国」だった。そして、誰もが「俺が正義だ」と思って行動している、という事実に衝撃を受けました。ジーンズをはきポップスを聴いてアメリカに憧れていた世間知らずの若者だったわたしは、頭からバケツの水をかぶせられたような気がしたのです。
 発表当時も、わたしがTVで見た時も、アメリカはベトナムで戦争をしていました。その後も中近東やアフリカ、カリブ海諸国や旧ユーゴなど様々な地域で戦争や軍事介入を繰り返しています。
 それは正しい行いなのでしょうか(違う気がする)。
 それを考える時、わたしの頭はいつもここに戻ります。この映画のことは思い出さなくても、この映画を見た時に感じた違和感がわたしの「アメリカ観」の基本になっているのです。

2012年1月6日金曜日

Memento − Christopher Nolan(2000)

 古い友人たちからの年賀状を懐かしく見て、昔のことを思い出そうとするのですが、「楽しかった」という気持ちは憶えているのに「具体的に何が楽しかったのか」を思い出せなくて困りました。旅行に行って良い景色だったと感動した場所も、その映像が記憶に甦ってこないことがよくあります。
 人生も半世紀を過ぎると、物忘れがひどくなって情けないですね。
 認知症の患者は、自分が何に対して怒っているかは忘れてしまうのに、「不愉快だった」という感情の記憶だけはしっかりと残るのだそうです。怒りと猜疑心のなかで暮らす毎日は、本人にも介護をする人たちにも辛い日々になります。
 「メメント」は、(認知症とは違いますが)10分間しか記憶が保てない病気に冒された主人公が、殺された妻の復讐をする物語です。復讐を果たしたシーンから、彼の記憶に残る10分単位に時間を遡る斬新な映像手法によって、緊張と意外性に富んだストーリーが語られていきます。10年前に見た時にも衝撃でしたが、冒頭に書いたような経験をした今は、なおさらにその内容が重く感じられます。
 DVDでは時系列に見ることもできるので、見ているうちに話の筋がわからなくなって、自分の物覚えの悪さを嘆くことになった場合には助かります。でも、この映画は逆さに見るからこそ面白いんですけどね。