2012年7月5日木曜日

おまえうまそうだな - 藤森雅也(2010)

 草食恐竜マイアサウラに育てられた肉食恐竜ティラノサウルスが、草食恐竜アンキロサウルスの親になるという、宮西達也原作の絵本の映画化作品です。ティラノサウルスの名前はハート、アンキロサウルスのなまえはウマソウ。卵が孵った瞬間にハートが「おまえうまそうだな」と言ったことが刷り込みとなって、アンキロサウルスの子供はハートを親、「うまそう」を名前だと認識してしまったのです。
 子供だましのファンタジーのような内容だと馬鹿にしていると、とんでもないしっぺ返しを受けることになります。
 手塚治虫の「ジャングル大帝」の主人公、ライオンのレオは森の王としてインパラなどの草食動物にも愛され、もちろん彼らを食べたりはしませんでした。ところが、ハートは草食恐竜を襲いその肉を食べる 「正しい」ティラノサウルスとして描かれます。さすがにウマソウの前ではその姿を見せるわけにはいかないので、ウマソウが眠っている夜を待ってのことですが。
 肉食、草食の一面だけで単純に白黒・善悪を区別することなく、どんな動物にも共通する親子の愛情と仲間を思う気持ちが素直に表現されていて胸を打たれます。
 ハートにかかわるウマソウ、マイアサウラのお母さん、そして実の親ではないかと思われるティラノサウルス。三者三様(ハートも含めて四者六様かな) の物語にほろりとさせられてしまいます。
 強い恐竜が好きな男の子と優しい動物が好きな女の子と、お父さん、お母さん、是非みんなで観て、感想を話しあってみてください。

6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

映画「おまえうまそうだな」は去年の年末に見たきりです(TOKYOMXでも放送されました)。
この映画の本当に感動する所はバトルとか食物連鎖とかその事情と絡んだ家族描写だと思います(ジレンマもそうでしょう)。
アニメーションの力を活かしてたのもこういうシーンだと思いました。そして、スーパーアクションアニメに選ばれた事もあります。

ただし本筋は絵柄通りの単純な親子物語であって宣伝とか見ても映画版の企画やメーカー側はバトルとか食物連鎖とかその事情と絡んだ家族愛よりも「単純な親子物語」を想定してたと思うます。

この映画のネックは、その硬派な部分が絵柄や主軸に全く合ってない所だと思います。
これじゃ、恐竜世界らしいワイルドさを入れても「ただの可愛いだけの映画」だと世間に思われるのでは?
本当に感動する所があってもそれが主軸や絵柄と合ってない限り、あまり評価されずに埋もれるのではないでしょうか?
必ずしも、本筋と本当に感動する所が同じだとは限りませんからね。
はっきり言って疾走感、ダイナミック、硬派な要素って、単純な親子物語という主軸には相性が合ってないと思います。
「生きる事」「戦う事」「宿命」「複雑さも絡んだ親子愛」が主軸であれば合ってると思うんですけどね。

勇ましい要素を付けても絵柄や紹介されたあらすじに釣られた子供は戸惑うと思います。
大人からしても、あの絵柄とあらすじじゃわざわざ見る層多くないでしょう。
見た所で「勇ましい要素が浮いてる」と思いかねません。

nobish さんのコメント...

コメントありがとうございます
滅多にコメントのない不人気BLOG(笑)なのでうれしいです

わたしとしては、エラスモサウルスのペロペロとの挿話がちょっと全体から浮いているような感じを受けましたが、そのほかには特に違和感は感じませんでした。
予告編の映像は忘れて観た方が良いですね。

匿名 さんのコメント...

実は「おまえうまそうだな」は監督(藤森雅也)としては子供向けのつもりだったようです。ここの記事で、子供向け作品についての仕事で述べています。ttp://animeanime.jp/article/2012/08/22/11194.htm

匿名 さんのコメント...

すみません

URLの訂正

http://animeanime.jp/article/2012/08/22/11194.html

絶太 さんのコメント...

おまえうまそうだなという映画の事でコメントしたいと思います。去年のアニメージュの8月号のこの人に話を聞きたいでおまうまの藤森監督のインタビューが載んでたのを見たのでが実は、「ほのぼの~」っていうのは監督に対しては失礼なことなのかもしれません。
2011年アニメージュ8月号はAMAZONで中古販売しているかもしれません。

上層部の意向は知りませんが、監督としては「捕食する側とされる側のテーマの話だったから、やっぱりそこから逃げて作る事は出来ない」「自然描写も含めて、ちょっとリアルに世界観を作らなくてはいけない」「人の生き死についてはあまり嘘をついちゃいけないと思う」 と寧ろ客観的とも言える発言もしていました。生き死に関しては、忍たまの映画についても「そこのギリギリのところをどこかなどこかなと探りながら作ったという部分はありますよね」と言っていました。
またお母さん恐竜がまた子供を生んだ所についても「お母さんにも普通の女性としての性がある」「生々しい感じが出るといいなとは思っていました。」とも言っていました。
いずれも子供向けという媒体上、表現規制の問題には勝てなかったのでしょうがその枠の中で表現しようとしたのかもしれません。

プロデューサーからは「とにかく女の人が泣ける話を」と言われたようですが、それについても「人が死ぬか別れるかと言う小手先のテクニックで泣かせたくない」って言ってるんであって”可哀想な話”が嫌だと言ったわけではありません。実際、キャラが死ぬシーンで泣かせるより虚しさとか冷徹さを表してる漫画アニメドラマはあります。ゴンザが倒れる所も泣ける演出というより、無常さを感じられる演出だったと思います。(悪い意味ではなく)

そのインタビューの画像をアップロードしました。
http://uproda11.2ch-library.com/366540Q6c/11366540.png
見にくかったらすみません。こちらが書いた番号はコマ番号です。
そしてインタビューの画像は消えやすいので消えたらこのコメントで連絡してください。

絶太 さんのコメント...

個人的に、プロデューサーの「とにかく女の人が泣ける話」という要望や企画や宣伝の「心温まる」を強調が無茶だと思いました。仮にも恐竜世界で捕食者と非捕食者の問題も出てくる映画なのに「女の人が泣ける」「心温まる」路線ばかり押し付けられてもねえ・・・と思いました(作品にある要素の1つとしては良いのですが)。子供だって場合によってはシビアだし媚びられるのを嫌になる事はあると思います。子供向けの作品や書籍でも子供にわかるように伝えた、ハードな話のやつもありますし。

個人的に「女の人が泣ける」というのは死の描写についても綺麗事のイメージがありましたので。本当にハードなものは死の描写についても「泣ける~」ってよりも冷徹さを表す事が多いと思います。昭和時代にあったやなせたかしさんの「チリンの鈴」も死が出てきますが、泣かせる為のシーンではなく厳しさや虚しさを表したものでした。