2012年12月25日火曜日

Home for Christmas - Daryl Hall & John Oates (2010)

 クリスマスイブも仕事でしたが、帰宅電車は空いていました。みんな早く家に帰って、早く寝て、サンタクロースが来るのを待つのでしょうか。
 静かな電車から夜の街を眺めていると、家に近づくに従って外の明かりが少なくなってきます。羊飼いたちのもとに天使が降臨してイエスの降誕を告げた荒野の景色がまぶたに浮かんできました。
 モノクロのCDジャケットは、そんな静かなクリスマスの夜ですね。彼らの歌う讃美歌"It Came Upon a Midnight Clear"が心に染みてきます。
 静かな讃美歌とハーモニーの美しいオリジナル曲に始まり、途中、往年のヒット曲を彷彿とさせるポップな歌を挟んで、Blue-Eyed Soulの代表のように言われていた彼ららしいソウルフルなゴスペル、そして最後に楽しいスタンダードを歌って「きよしこの夜」で締めくくる、その流れるようなアレンジが素敵です。
 もう還暦を超えた彼らに、恋人たちのクリスマスは関係ないようです。心から神の福音と人びとの平安を祈る、そんな気持ちのあふれたアルバムです。

2012年12月23日日曜日

¡FELIZ CHRISTMAS! - Orquesta De La Luz (1994)

 クリスマスはキリスト教のお祭り。そのキリスト教の中でもカトリック教徒はラテン系の人たちに多いんだよね。
 というわけで、サルサのクリスマスアルバムを一つ。とは言っても、歌っているのは日本のグループ、オルケスタ・デ・ラ・ルスですけど。彼らのヒットアルバム「サルサに国境はない」に倣って言えば、「クリスマスに国境はない」。雪国の歌ばかりがクリスマスソングじゃないんだぜ。地球の半分、南半球のクリスマスは夏なんだし。
 ラテン乗りの陽気な楽曲が目白押しです。クリスマスってやっぱりお祭りなんだな、って思います。救い主がこの世に生まれた日、なんて素敵なうれしい日だろう。
Feliz Navidad!

2012年12月22日土曜日

34丁目の奇跡 (Miracle on 34th Street) - Les Mayfield (1994)

 今日の新聞(12月21日朝日新聞夕刊)に、「トナカイの赤鼻は血管が発達したものだ」ということがオランダとノルウェイの研究チームの研究でわかった、というニュースが載っていました。そしてそれは、「寒空でサンタクロースのそりを引くために必須の役割を果たしている」というのです。
 なんて、すばらしい研究論文でしょう。
 毎年この時期になると、サンタクロースは実在するのか、という議論が世界中でなされます。特に子供達には重要な問題です。
 中には、サンタクロースなんていないよ、プレゼントはお父さん(お母さん)がくれるんだよ、と醒めたことをいう子供もいますね。でも、考えてごらんよ。誕生日でもないのに、なんでプレゼントがもらえるんだい。お父さんの会社で特別ボーナスが出たとか、競馬で大当たりしたっていう話も聞かないけど。
 それって、やっぱり、サンタクロースがいるからじゃないの?。
 この映画では、サンタクロースの存在が裁判で争われる事態にまで発展してしまいます。さて、判決は如何に。
 何度観ても、その結末に泣いてしまいます。窓を開けて、星空に叫びたくなります。Merry Christmas and I love you, Father Christmas!.
 サンタクロースでも、神様でも、愛する人でも、対象は何でも構いません。我々にとって大切なことは、何か(誰か)を信じること。それを教えてくれる素敵な映画です。

2012年12月9日日曜日

Wintersong - Sarah McLachlan (2006)

 光あふれる白銀の野に立って、その光の中に消え入りそうなはかない姿。そんなジャケット写真そのままの、せつなく、透明で、静けさに染み入るような歌声が素敵です。
 (でも、ジャケットを開くと結構しっかりした感じの女性が出てきてビックリするのですが…(^^ゞ)
 アルバムの中ほど、エキゾチックなアレンジの"The First Noel/Mary Mary"には驚かせられます。しんしんと雪がふり積む北欧の針葉樹林と、異様な熱気に包まれたインドの密林が渾然一体となったような不思議な感じ。その中をふわふわと浮遊しているような、変な言い方ですがトリップしているような、そんな気分にもなります。
 声高に熱唱したり、アップテンポではしゃいだりすることなく、ゆったりとした気分にさせてくれます。星空を見ながら聴きたくなりました。

2012年12月3日月曜日

A Very She & Him Christmas - She & Him (2011)

 「え?あれ何。サンタクロースって本当にいたんだ。」
 「マジ!?。てか、そりに乗ってるとなりの女の人誰?」
 みたいなビックリ顔が面白くて買ってしまいました。
 家で聴いていると、息子がやってきて「She & Himじゃん。貸してよ」。へぇ、若い人には人気のグループだったのね。
 レトロ・ヌーヴォーとか言うらしいですけど、若い頃に聴いていた音楽に似ているような、でも新しくもあるような、柔らかくてほのぼのする感じです。
 日本風に言えば加山雄三や小林旭が登場する「懐かしの歌謡ショー」みたいな選曲ですが、アレンジが絶妙で、初めて聴く新しい曲のように感じます。ほかではあまり聴かないThe Beach BoysやNRBQのカバーもいいですね。
 ガチャガチャした最近の音楽は苦手だけど、今さらシナトラじゃ古くさいよなぁ、という方にオススメです。

2012年11月30日金曜日

Home for the Holidays - Point Of Grace (2010)


 クリスマスは「イエス・キリスト生誕の日」という宗教的な日だというのに、クリスマスパーティーだの恋人とのデートだのと浮かれて、まったく今の若いモンは何を考えておるのだ、けしからんとお嘆きの貴兄に、Contemporary Christian musicという分野に属する女性グループPoint of Graceのクリスマスアルバムをどうぞ。
 Christian music(教会音楽)というから荘厳なゴスペルかと思いきや、'70~'80年代に一世を風靡したコーラスグループABBAのような軽やかで明るい歌声に驚かされます。ジャケット写真のとおりのPOPなアルバムです。
 バンジョーの伴奏で始まる"White Christmas"や楽しい"A Holly Jolly Christmas"、傷心の人々をも温かく包み込む"Immanuel"など、宗教的な敬虔さと「お誕生日パーティー」の楽しさがほどよくミックスされた素敵なカントリー音楽のクリスマスアルバムです。

2012年11月27日火曜日

Tinsel & Lights - Tracey Thorn (2012)

 TVでELT(Every Little Thing)がLTEのCMに出るかでないかでもめています。というか、それがCMなので「なんだかんだ言っても出てるじゃん」というのがオチなのですが。
 それでこれです。
 Everything but the GirlのVocal、Tracey ThornのSolo Holiday Albumがでました。
 オリジナルは2曲だけなのですが、カバーされているのは普段のクリスマスにはあまり聴かない曲ばかり。比較的有名なところではJoni Mitchellの"River"、Dolly Partonの"Hard Candy Christmas"。一応、Judy Garlandの"Have Yourself A Merry Little Christmas"もカバーしていますが、全体的には神の祝福や世界の平和、子供達の楽しい時間とは関係なさそうな歌ばかりです。どちらかというと、少し悲しい雰囲気かも。
 しっとりと歌う彼女の歌声がとても耳に優しい。静かで落ち着いたクリスマスの夜にピッタリです。一人の夜に聴くと、いろんなことを思い出して少し泣いちゃうかも。
 ところでEverything but the Girlというグループ名ですが、彼らが通っていた大学の近くにあった家具屋さんのスローガンからとったのだとか。
 「あなたのベッドルームで必要な物は全て当店で揃います、女の子以外は。」
 そういう雰囲気のクリスマスの夜にこのCDを聴いたらダメですよ。

2012年11月24日土曜日

Grp Christmas Collection 1 - Various Artists (1988)

 それとは知らずに買ったLP時代の"December"(George Winston)を別にして、たぶん、初めて手にしたクリスマスのCDがこれだった気がします。音楽のジャンルに"Holiday"というのがあるのを、初めて知ったのもこの時でした。
 Grpに所属するJazz/Fusion系のミュージシャンたちによるオムニバスアルバムです。それまでJazzは小難しくて辛気くさい音楽、FusionはPopsに媚を売った軟弱なJazz、なんていうおかしな評価を持っていたのですが、このCDと出合い、Lee RitenourやDave Grusinなどの名演を聴いていっぺんで虜になりました。
 2曲を除いてインストゥルメンタルですが、定番のピアノ、ギターのほかにもフルート、サックス、ビブラフォンなどなど演奏のバリエーションが多様で飽きることがありません。
 よく知られている曲やテーマをアーティストの自由な解釈で演奏するというスタイルと、クリスマスパーティなどのBGMに洒落た音楽をかけたいというニーズが合うのか、Jazz系のクリスマスアルバムには良いものがたくさんありますが、そのなかでも上位を争う名盤と言ってもほめすぎではないと思います。

2012年11月17日土曜日

A Charlie Brown Christmas - Vince Guaraldi Trio (1965)

 スヌーピーの絵に躊躇して、長らく手にしていなかったクリスマスアルバムの名盤をやっと買いました。
 このアルバムから生まれた"Christmas time is here."は、クリスマスソングの定番として数多くのアーティストにカバーされていますね。この曲からもわかるとおり、オーソドックスなジャズの素敵な演奏を楽しめます。
 タイトルの通り、スヌーピーのアニメ番組のサウンドトラックとして録音されました。初演は1965年、昭和40年です。僕らが「オバQ音頭(オバケのQ太郎)」 でバカ踊りをしていた頃、アメリカの子供達はこんな洒落た音楽でクリスマスを祝っていたなんて、ビックリです。
 わたしのようにスヌーピーが気になって手にしなかった人は、なんで今まで避けていたんだ!と後悔し、スヌーピーにだまされて手にした人は、その思いがけない出合いに感謝する、そんなアルバムです。

2012年9月10日月曜日

The Nightfly - Donald Fagen (1982)

 J-WAVEが開局した時、このアルバムの1曲目"I.G.Y."がイメージ曲としてヘビーローテーションされてました。バイリンガルのナビゲーターを多用し、とんがった音楽番組を中心に放送を開始した局のイメージに元Steely Dan、Donald Fagenのこのアルバムはピッタリ合っていましたね。'80年代を代表する名盤です。
 ラジオ番組で局を選びながら話をする人を最近はパーソナリティーとかナビゲーター(ミュージック・ナビゲーター)と言いますが、わたしが学生の頃はDJ(ディスクジョッキー)と呼んでいました。このジャケット写真がまさにそのDJですね。ターンテーブルを前にしていますが、スクラッチはしません。音楽をかけて話をするだけです。
 最近のDJは単なる選曲者・司会者を越え、スクラッチやMIXなどのテクニックを駆使するパフォーマーになりました。前回取りあげたFatboy SlimもそんなDJの一人です。
 ビートの利いたダンサブルな曲でグイグイ押してくる現在のDJに対して、このジャケット写真のDJ Fagenは、ポップスとジャズの中間あたりの感じの落ち着いた曲を流してくれます。元気な時、落ち込んでいる時、明るい昼間も一日の終わりを迎える夜にも、いつ聴いても心地よい至上の名曲揃いです。
 Steely Dan時代から変わらない凝った音作りと美しいメロディは30年経った今でも色あせることはありません。もちろんこれからも…。

2012年9月6日木曜日

You've Come a Long Way, Baby - Fatboy Slim (1998)

 InterFM(76.1MHz)の開局は1996年でした。それまで、クリス・ペプラーやジョン・カビラが英語でナビゲートしたJ-WAVEがあったとは言え、24時間全放送が外国語というのは初めて。しかも外国人向けに開局したのでオンエアされる音楽の選曲も他局とは嗜好が違って新鮮でした(今は日本語放送も増えて普通になってしまいましたね)。
 そこで出会ったのがFatboy Slim、ロンドンオリンピック閉会式でタコと一緒に出てきた彼です。
 年をとると新しい音楽を聴くのが億劫になります。ドンドコいう強烈なビート、歌っているのか喋っているのかわからないようなボーカル、演奏ではなくいろんな音楽ソースを集めたRemixなど、いわゆるダンスミュージックとかクラブミュージックは敬遠していたのですが、これは別物という感じがしました。英国出身という土壌の違いかもしれません。普通の(というと変ですが)ロックやポップスに近い雰囲気を感じました。
 ただし、このジャケットだけは苦手です(^^ゞ。

2012年8月18日土曜日

わたしは風 - カルメン・マキ&OZ (1975)

 高校の学園祭で喫茶店をやりました。誰かがこのアルバムを持ってきて、BGMにかけていました。
 「わたしは風」が始まった瞬間、カウンターの後ろから吹いた爆風に店の中のものがすべて吹き飛んで、ガラス窓を破って校庭へ飛び散ってしまったような衝撃を受けたことを今でも覚えています。
 当時はちょっとポップなサディスティック・ミカ・バンドやプログレっぽい四人囃子、重たい感じのクリエイションなんかを聴いて日本のロックを知ったかぶっていたのですが、それがいったい何だ。これこそロックだぞ!と打ちのめされた思いでしたね。
 疾走感あふれる演奏、力強いボーカル、歌詞も良いですね。はじまりは演歌っぽい(笑)かもしれませんが、 忍ぶ女じゃありません。自由な生き方、みたいなものに憧れました。
 今でも日本のロック名盤のトップを争う曲であることには間違いありません。

Tommy - Ken Russell / The Who (1975)

 初めて映画の試写会に行ったのが「Tommy」でした。映画情報誌「ぴあ」の懸賞に応募して当てたものです。「ぴあ」がメジャーになりかけていた時期で読者が少なかったのか、その後も何本か当たった記憶があります。
 会場は中野サンプラザ。映画の試写会なのに前座があって、金子マリ&バックスバニーが出てきました。プロのロックバンドを生で聞くのも初体験で、しかも好きなバンドだったのでとてもうれしかったのを覚えています。
 ロンドンオリンピック閉会式のトリはThe Whoでしたね。久しぶりに"See Me, Feel Me"を聴いてこの映画を思い出しました。"Pinball Wizard"もKaiser Chiefsのカバーで演奏されていましたね。
 まだMTVが無かった時代だったので、映画化されたことによって音楽だけではわかりにくかったRock Operaの全容が明らかになりました。Ken Russellの少しイッちゃってる感じの演出も良かったですし、Eric CraptonやTina Turnerなど豪華なキャストもビックリでしたね。三重苦のTommyがカルト教団の教祖のようになっていくストーリーは、今の人たちの趣味には合わないかもしれませんが、音楽は今でも違和感なく聴けるのではないでしょうか。あの時代には、間違いなく傑作でした。
 オリンピックに話を戻せば、できれば開会式のPaul McCartneyと逆だったら良かったかな、と思います。昔のようにPete Townshendがブンブンと腕を振り回し、Roger Daltreyがマイクを砲丸投げのように回したら盛り上がっただろうな。
 そうすれば、ポールは最後の最後に"The End" を歌えたのにね。

2012年8月14日火曜日

Wish You Were Here - Pink Floyd (1975)

 ロンドンオリンピックが終わりましたね。
 数々の名勝負もさることながら、開会式・閉会式で演奏された数々のBritish Rock & Popsには圧倒されました。BGMとして、時にはメインテーマとしてわたしの、あるいは世界の人々の人生を彩ってきた名曲ばかりです。特に閉会式は感涙ものでしたね。
 英国の音楽がどれほど世界の人に愛されているか、またそのことに英国の人々がどれほどの誇りを持っているかを改めて感じさせてくれました。
 ところで、その閉会式のNHK中継ではアナウンサーのしゃべりが邪魔でせっかくのコンサート(ショー)が楽しめなかったという批判がTwitterで爆発しているとか。
 わたしの好きなこの曲も演奏されました。Pink FloydからはドラマーのNick Masonが参加。スタジアムのスクリーンにはEchoes冒頭の歌詞 "Overhead the albatross hangs motionless upon the air."からインスパイアされたと思われる渚に飛ぶ鳥の映像が映されています。三角形のスタジアム照明がアルバム「狂気」のプリズムに見えます。綱渡りをしていた男性が待っていた男と握手すると、アルバムジャケットそのままに相手が燃え上がってエンディングとなりました。
 まぁ、Pink Floydに興味がなければそんなことはどうでも良いのですが、NHKのアナウンサーは完全にスルーしてオリンピックの思い出話をしてましたね。苦笑いです。
 ともあれ、"The Dark Side of the Moon"(狂気、1973)や"The Wall"(1979)の陰に隠れがちなこの名曲(アルバム)に光を当ててくれたオリンピックにありがとうと言いたいです。

2012年7月13日金曜日

ダブル・ミッション (The Spy Next Door) - Brian Levant (2010)

 ジャッキー・チェン演ずる敏腕CIAエージェントが、隣に住む女性との普通の生活を夢見てスパイからの引退を決意します。ところが、彼女の子供三人は結婚に反対、あの手この手で二人の仲を妨害します。
 スパイとしての最後の仕事と、恋人の留守宅を守って子供達の信頼を得ること。外見はさえない東洋人のジャッキーが二つの任務(ダブル・ミッション)に挑みます。
 これをたとえばトム・クルーズとかピアース・ブロスナンがやるとしたら、一線を退いて落ちぶれている男が、恋人の愛と子供達の信頼を勝ち取るために奮起して最後のミッションに挑む、という話になりそうですが、現役の設定のまま話を作れるのがジャッキーらしいところ。もうすぐ60歳に手が届こうかという彼のアクションは、往年の勢いはないもののまだまだ健在で、「かつては超一流だったスパイが惜しまれてい引退する」感じを良く出しています。
 凄いのに笑っちゃういつもの演技は子供相手でも違和感なく、…いえ、子供相手だからこそさらにコミカルさを増して生き生きとして見えます。
 これなら、ミッション・コンプリート間違いなしでしょう。

2012年7月12日木曜日

Foul Play - Colin Higgins (1978)

 "Foul Play"を辞書で引くと、「反則・ずる」と並んで「暗殺・殺人」という意味が出てきます。ローマ法王の「暗殺」をテーマにしたロマンチックコメディですが、背の小さい人やメラニン色素の少ない人、変態男や日本人のお上りさんなど、「反則」すれすれの登場人物や演出についても匂わせているタイトルです。
 死体なき殺人の謎はどうなっているのか、法王暗殺の陰謀をいかにして防ぐか、そういうストーリー関係はあまり意味をもちません。繰り返されるショートギャグの連発に笑い転げる映画です。ヒッチコック映画のパロディもちりばめられています。古い映画ですから、ギャグもヒッチコックも今の人にはわかりにくいかもしれませんけど、難しいことを考えないで楽しみましょう。何も知らなくても普通に面白いですよ。いや、普通以上に面白いこと請け合いです。
 いろいろなことにうるさくなった今、この手の映画を作るのは難しいかもしれませんね。下品な笑いにしない演出の手際が素敵です。
 主役のゴールディ・ホーン(Goldie Hawn)のキュートな魅力もさることながら、これがハリウッドデビューとなったダドリー・ムーア(Dudley Moore)の強烈なキャラクターは30年以上経った今でも忘れられません。アカデミー賞にノミネートされた主題曲を歌うバリー・マニロウの顔が彼にそっくりで、当時ヒット曲を連発していた彼を見るたびにダドリー・ムーアの顔を思い出して吹きだしてしまい、とても困りました。

2012年7月8日日曜日

許されざる者(Unforgiven) - Clint Eastwood (1992)

 NHKの大河ドラマ「平清盛」について、兵庫県知事が「画面が汚い」と苦言を呈したことがニュースになったことがありました。確かに、十二単の美女や緋縅の兜姿も凛々しい男前の武士が塵一つない舞台で演じてきたかつての大河ドラマに比べれば、ぼろをまとった汚い登場人物やほこりっぽくてみすぼらしい景色など、これまでとはかなりギャップのある内容であることは確かです。けれども、決してきれい事ばかりではない、荒ぶる武士(もののふ)の創生期の空気感を表すには良い演出ではないかと、わたしは思っています。
 しょせんは人殺しのドラマ、時には親子兄弟でさえも殺し合うような血なまぐさい話です。平清盛もなんとか組の組長もたいして変わんないでしょ。そこに何を期待しているのさ、そんなことをふと思ったりもするのです。
 日本の侍に対するのが西部劇のガンマンです。アウトローとカタカナにするとかっこいいですが、無法者、つまりやくざじゃないですか。もろ手を挙げて賞賛するような対象じゃないだろ。西部劇育ちのイーストウッドが、この映画ではそんな問いを投げかけています。
 引退したガンマンが、正義のために立ち上がって悪者を倒しに行きます。いや、正義のためではなく賞金のためでした。その賞金も私憤のためにかけられたものです。相手がトイレに入っているところを襲うという卑怯な方法で賞金を手に入れます。撃つ方も撃たれる方も無様で救いようがありません。保安官も暴力的で嫌なやつです。誰が善で誰が悪なのか白黒つけられない、登場人物のすべてが「許されざるもの」なのです。
 いえ、それだけではなく、これまでの美学に満ちた西部劇を作ってきた映画人、それを支持してきたわれわれ観客をも「許されざるもの」なのだと言っているのではないか。 そんなことを考えさせられます。
 見終わった後、「イーストウッドはいつ見てもかっこいいね」などと、間違っても言ってはいけません(たぶん言わないと思うけど)。そんな映画です。

2012年7月5日木曜日

おまえうまそうだな - 藤森雅也(2010)

 草食恐竜マイアサウラに育てられた肉食恐竜ティラノサウルスが、草食恐竜アンキロサウルスの親になるという、宮西達也原作の絵本の映画化作品です。ティラノサウルスの名前はハート、アンキロサウルスのなまえはウマソウ。卵が孵った瞬間にハートが「おまえうまそうだな」と言ったことが刷り込みとなって、アンキロサウルスの子供はハートを親、「うまそう」を名前だと認識してしまったのです。
 子供だましのファンタジーのような内容だと馬鹿にしていると、とんでもないしっぺ返しを受けることになります。
 手塚治虫の「ジャングル大帝」の主人公、ライオンのレオは森の王としてインパラなどの草食動物にも愛され、もちろん彼らを食べたりはしませんでした。ところが、ハートは草食恐竜を襲いその肉を食べる 「正しい」ティラノサウルスとして描かれます。さすがにウマソウの前ではその姿を見せるわけにはいかないので、ウマソウが眠っている夜を待ってのことですが。
 肉食、草食の一面だけで単純に白黒・善悪を区別することなく、どんな動物にも共通する親子の愛情と仲間を思う気持ちが素直に表現されていて胸を打たれます。
 ハートにかかわるウマソウ、マイアサウラのお母さん、そして実の親ではないかと思われるティラノサウルス。三者三様(ハートも含めて四者六様かな) の物語にほろりとさせられてしまいます。
 強い恐竜が好きな男の子と優しい動物が好きな女の子と、お父さん、お母さん、是非みんなで観て、感想を話しあってみてください。

2012年6月18日月曜日

f植物園の巣穴 - 梨木香歩(2009)

 仕事からの帰り道、わたしの目の前で、雨に濡れた夜道をゲジゲジが滑るように渡っていきました。以前には、ヒキガエルやヤモリに出会ったこともあります。夜になると(特に湿気の多い日は)昼間は姿を見なかった生きものたちがぞろぞろと姿を現します。一般には敬遠されがちな彼らも、夜の闇の中で会うとなぜかいとおしく感じるのが不思議です。
 彼らは、闇の向こうにある別の世界から来ている気がします。雨が、墨を滲ませるように、夜の世界の輪郭を曖昧にしたその隙間から這い出して来ているように思えるのです。
 梨木香歩の書く物語には、そんな「世界の境目」を自由に往き来する人や生きものが登場します。彼らはぬか床からわきでてきたり、死後の世界から舟を漕いで訪ねてきたり、あるいは鏡の向こうの世界へ行ったりします。人形やサルスベリや石像がなんの違和感もなく語りかけてくることもあります。海の向こうにある異国の存在を誰も疑わないように、その異国から来た人がコンビニのレジを打っていても誰もおかしなこととは思わないように、我々が人間界、あるいは現実世界と呼んでいる世界からもう少し外側へ広がった世界と、そこに棲む(?)ものたちの物語が当たり前の事柄として語られるのです。
 この本の主人公は、ひどい歯痛に悩まされたあげくに、f植物園の中を時間と場所を越えて彷徨います。そこで体験する不思議な事柄について、「むろん科学的にはあり得ぬが、事態がこう進展してきた以上、私もいつまでも自然科学的常識に固執するものではない。その「系」の中の合理というものがあることぐらいは承知している」と言って、異界の存在を認めています。
 けれど、これは水木しげるが書くような妖怪話ではありません。どの物語でも、主人公はそんな世界との関わりを通して「再生」していきます。「生き返る」「生まれ変わる」と言っても良いかもしれません。心にわだかまっていた何かから解き放たれ、辛い状況を克服して、傷から立ち直ったり、新しい生き方を見つけたりするのです。自分の力では、人間の力では、科学の力ではどうしようもない困難を克服するために、異界のものたちが力を貸してくれるのです。
 病の床で、熱に浮かされ朦朧とした意識の中で突拍子もない夢を見ることがあります。その夢の力によって病から快復することができた。そんなことを思うことがあります。
 彼女が語る物語はどれも、主人公たちが病の床(象徴的な意味で)で見た夢物語なのかもしれません。

2012年6月8日金曜日

ラン・ローラ・ラン(Lola rennt) - Tom Tykwer (1998)

 「あぁ、あの時こうすれば良かった。」
 そう思う瞬間が人生には何度もあります。それとは別に、ほんの少しのタイミングの違いで変わった(のかもしれない)運命に驚くこともありますね。例えば、あの時電車に乗り遅れていなければあなたに会わなかった、みたいな。
 ローラはトラブルを起こした恋人のためにベルリンの街を走ります。彼女に残された時間は20分。その時間を惜しんで、とにかく彼女は走ります。彼のもとへとただひたすらに走ります。映像も音楽も一緒に走ります。その疾走感がかっこいい。
 その20分間のドラマが、ビデオを巻き戻すように3回繰り返されます。ところが、1回目と2回目は微妙に違う。2回目と3回目も違います。ほんの一瞬のタイミングの違いから、物語は別々の結末へと導かれていくのです。
 たとえば、ローラが車の前を横切るタイミングがちょっと早かったり、ちょっと遅かったりすることでローラの運命が変わります。それだけではなく、車を運転している人の人生も違った方向に進んでいくのです。
 斬新な映像手法で語られる、そういうサイドストーリーも面白いですね。電車の中でたまたま前に座った人がうれしそうな顔をしていると、今朝何があったんだろう、これから何があるんだろうと想像をたくましくすることはありませんか。そうすると、あんまりわたしがじろじろ見るもんだからその人が席を立ってしまい、そこで彼/彼女の人生が変わってしまったかもしれないとまた別の想像をする。その時のわたしの頭の中の映像が見えたらこんなかな、みたいな感じです。
 前回取りあげた「未知との遭遇」とはまた別の意味で、 "We are not alone." な映画です。

2012年6月5日火曜日

未知との遭遇(Close Encounters of the Third Kind) - Steven Spielberg(1977)

 これは狸に化かされて、狐が憑いたアメリカ人の話です。そんなことを言ったらスピルバーグや多くのファンに怒られそうですが、最近、唐突にそんな考えが頭に浮かんできました。
 物語の冒頭に登場するバリー少年の家は、広い農場か原野のただ中にあって、夜の闇の中では地上には何も見えず、満天を覆う星の光が不気味に思えるほどの寂しい景色がまわりを包んでいます。日本なら竹藪や葭原の陰から出てきたもののけに化かされるところですが、だだっ広いアメリカに何かが隠れるような物陰はありません。だから空が怖い。幾千の目で見つめられているような星空が怖い。
 そんな闇夜に化かされて出会うのは妖しく色っぽい女性ではなくUFOなんだろうな、そんな気がしたのです。
 もののけ(あるいは宇宙人)たちは恐ろしいもの、あるいは人をたぶらかす悪いヤツのように思われがちですが、昔の人はそれを敵対するものとは考えず、同じ世界に生きる仲間として畏れ敬ってきました。そして、人智の及ばないことがらを物語にしてうまく処理する知恵も持っていました。「昔の人」と書きましたが、今もそういう人はいるでしょう。われわれが迷信や絵空事と思っていることも、ある時点、ある観点では真実なのです。

 「狸に化かされた」と言って、超自然現象を素直に受け入れられる人たち。彼らが目が覚めるまでに見た夢物語を聞いて、暗闇の無くなった現代都市に生きているわたしたちは、暗闇と一緒に何か大切なものをなくしてしまったんじゃないか、と気づきます。そして、その物語に懐かしさと、心温まる思いを感じるのです。

We are not alone.
あなたは信じますか。

2012年3月13日火曜日

わんわん忠臣蔵 - 白川大作(1963)

 子供の頃の、たぶん夏休み、子供会の映画会がありました。近所の公園にスクリーン(もしかしたらシーツだったかも)を張って、星空の下、地べたに座ってみんなでこの映画を観ました。そのあと、映画館でも観ましたし、TVでも見たかもしれません。ビデオがなかった時代に、こんなに何回も見た映画はありません。
 題名のとおり、動物たちを主人公にした忠臣蔵です。大石内蔵助は犬のロック。吉良上野介は虎のキラー。四十七士は野良犬たちでした。森の仲間たちや悪役の子分たちなど、大勢いる登場人(?)物にも個性豊かなキャラクターが並び、彼らの一挙手一投足を見ているだけでも楽しかったおぼえがあります。
 クライマックスの討ち入りの舞台は、しんしんと雪の降りしきる動物園。爆走するジェットコースターの上で繰り広げられるロックとキラーの決闘シーンには、何度観ても手に汗を握って見入ってしまいました。今でも、キラーがレールに爪を立ててジェットコースターを止めようとする、悲鳴のような音が耳に甦ってきます。
 ジェットコースターやトロッコを使ったアクションシーンはその後もいろいろな映画で見ましたが、わたしにとっての原点でありベストでもあるのは、この映画の決闘シーンです。

2012年1月16日月曜日

大誘拐 RAINBOW KIDS - 岡本喜八(1991)

 犯罪映画の面白味は「痛快」の一言に尽きます。まるで手品のショーを見るように、鮮やかな手さばきでだまされると、それが悪いことだとは分かっていても拍手喝采を送ってしまいます。
 人が死んだり物が壊されたりするような殺伐としたシーンがなければ、なお良いですね。
 スリとか窃盗とかのつまらない仕事で刑務所暮らしをしたチンピラ三人組が、人生をやり直す大勝負にと、和歌山の山林王・82歳の刀自(おばあさんの敬称)を誘拐する計画を立てます。誘拐が成功し身代金に5、000万円を要求しようとする犯人を、「見損のうてもろうたら困るがな」と一喝して100億円に値上げさせる刀自。なんと、刀自自らがリーダーとなって身代金奪取作戦が実行されるのです。
 刀自を演ずる北村谷栄、刑事役の緒方拳。名演でした。DVDのジャケット写真は二人の合成写真になっていますが、全然違和感がないのが不思議です。そして、鮮やかな手口でまんまと身代金を手に入れる犯人たち。一人の人も死なず、傷つかず、誰も損をしない(?)のが良いですね。その後のエピソードも気が利いています。
 個人的には、日本の犯罪映画史上に残る大傑作と言いたい。そんな作品です。

2012年1月15日日曜日

運動靴と赤い金魚(Children of Heaven) - Majid Majidi(1997)

 イランの映画です。
 この記事を書こうとして、初めて原題(英題)を知りました。「天国の子供たち」。まさにそのとおりの明るく無垢な子供たちの姿に感動します。近年の欧米諸国との対立やイラン・イラク戦争の殺伐とした状況を見ると、とても同じ国の子供たちとは想像できません。その落差に驚きます。
 物語は一足のぼろぼろな運動靴を巡って進んでいきます。現代の日本では想像できないような貧しさのなかで暮らす子供たちのお話です。かつては、日本にもこんな時代がありました。豊かさと引き替えに、わたしたちは何かを失ったんじゃないかな。そんなことを思い起こさせられます。
 だからと言って、貧しくても良いと言うわけではありません。 何とかして彼らを助けてやれないものかとやきもきします。クライマックスのマラソン大会。妹に履かせる靴を勝ち取るために、兄は懸命に走ります。「ガンバレ!」と思わず声が出ます。
 その結末はここでは伏せますが、ラストシーン、走り終わった兄がほてった足を金魚の泳ぐ噴水で冷やすシーンにジーンと来て、泣き笑いになりました。

I Am Sam - Jessie Nelson(2001)

 去年は子役の芦田愛菜ちゃんが話題になりました。
 それで思い出したのが、この作品。子役のDakota Fanningの演技が光っていましたね。アカデミー主演男優賞にノミネートされたSean Pennも顔負けの演技でした。
 知的障害のある父親と、父親の精神年齢を超えてしまった娘。そこに、息子との関係に悩むシングルマザーの弁護士が絡んで、ふたつの親子がそれぞれの問題を乗り越えていく物語が語られていきます。主人公とその友人たちはビートルズが好きだと言う設定で、全編を彩るビートルズの音楽(様々なアーチストがカバーしています)が素敵です。
 子役頼みのずるい映画、みたいに言う人もいますが、重くなりがちなテーマを、コメディに逃げることなくうまく表現していてわたしは好きです。
 もちろん、結末はハッピーエンド。あぁ、良かった、と胸をなで下ろして幸せな気持ちになるでしょう。

2012年1月14日土曜日

Fanboys - Kyle Newman(2008)

 "May the force be with you."
 外国の方に挨拶する時、"Good luck."や"Have a nice day."の代わりにこの台詞を使ってみたいと常々思っているのですが、変でしょうか。
 わたしは特にSTAR WARSマニアと言う訳ではありませんが、学生時代から社会人になりたての頃に、リアルタイムに旧三部作を見てきました。わたしを含め、同年代の人たちには、この映画から少なからず影響を受けたり、何かしらの思い出を持っていたりする方が多いのではないでしょうか。
 この映画は、旧三部作完結後16年ぶりに発表される新作(Star Wars Episode I: The Phantom Menace)を、末期がんに冒されていて映画の公開まで生きられない仲間に見せようと、STAR WARSオタクの青年たちがルーカスフィルムの本拠スカイウォーカーランチを目指して旅をする物語です。ストーリー云々よりフィルム全体にまき散らされたパロディーやカメオ出演するスターたちを楽しむ映画ですね。熱烈なファンでなくても楽しめるポイントが目白押しです。
 年齢的に見て、主人公たちは旧三部作をリアルタイムには見ていない可能性があります。ラストシーン、初めて劇場でSTAR WARSを観た彼らの反応にニヤリとさせられます。

Capricorn One - Peter Hyams(1977)

 先日、職場で事件がありました。4つある監視カメラのうちの一つ(仮に2カメとします)が止まってしまったのです。そのカメラの映像として、ある時点での誰もいない静止画が延々と映し出されていたのですが、元もと人の出入りの少ない場所なので、しばらく誰も気づかないままになっていました。
 その結果どうなるかというと、4面に分かれた映像を見ていると、1カメに映った人が2カメのエリアに来ると消えてしまいます。あるいは、その先の3カメに突然人が現れてビックリします。四六時中監視カメラの映像とにらめっこをしているわけではないので、ちょっと目を離している隙に2カメの下を通り過ぎてしまったのだろう、と思っていたのですが、あまりにも人が消える事件が続くので同僚にカメラの下を歩いてもらって原因を突き止めました。
 驚いたのは、わたし以外の誰も人が消えると思っていなかったこと。みんな、カメラを信じ切っていたのです。監視カメラの映像をすり替えて、その裏で銀行強盗などを働くというトリックがありますが、まさか自分たちがそれを体験することになるとは思っても見ませんでした。
 この映画では、地球で撮影した映像が火星からのライブ中継と偽って全世界に配信されます。その秘密をめぐって、NASAと宇宙飛行士、そして、その秘密を暴こうとする新聞記者がサスペンスドラマを繰り広げます。国家の陰謀と善良な市民の闘い。アメリカ映画はこう言うのが好きですよね。実際に、アポロ11号の月面着陸を特撮による陰謀だと信じている人たちもいるそうです。
 CG全盛の今なら、似たようなことがどこかで本当に起こっているかもしれません。あるいは、この映画とは逆に、「見せない」ことによって真実を曲げて伝えている例が実際にあるのではないでしょうか。
 ラストシーンは、この手の映画の中では白眉だと思います。こう言うのが、わたしは好きです。

2012年1月13日金曜日

バグダッド・カフェ(Out of Rosenheim) - Percy Adlon(1987)

 「シェーン!カンバァーック!」
 子供の頃、TVでよく観た映画です(Shane - George Stevens(1953))。行きずりのガンマンが悪者に苦しめられている家族を助け、そして去っていく話。小さな町や村によそ者が来てその土地や人々に変化をもたらしていくというモチーフはよく取り上げられる定番ですね。
 夫婦げんかをしてアメリカの荒野に置いてきぼりにされたドイツ人の女性(ジャスミン)が、「バグダッド・カフェ」に立ち寄ります。しばらくの滞在の間に、不機嫌な女主人と対立しながらも、その人柄で、そこに集う人たちの暮らしを少しずつ変えていきます。でも、本当に変わったのは彼女自身だったのでは?
 シェーンは帰ってきませんでしたが、ジャスミンは帰ってきました。パリはトラヴィスを救ってくれませんでしたが、バグダッドはジャスミンを温かく迎えてくれたのです。
 アカデミーにノミネートされた主題歌"Calling you"のせつない響きが耳から離れません。

Paris,Texas - Wim Wenders(1984)

 パリとテキサス、ではありません。二つの地名ではなく、テキサス州パリスという町の名前。でも、二つの地名としての意味も匂わせている、そんな感じがします。
 「パリ」から想起される「女性的」「華やか」「繊細」「奔放」などのイメージと、「テキサス」に付随する「男性的」「武骨」「粗野」「不器用」といったイメージの相容れない悲しさを、ヨーロッパの女優とアメリカの男優が演じ分けています。
 主人公トラヴィスは、いつか家族と住む家を建てようと思って買ったテキサス州パリスの土地のポラロイド写真を大事に持っています。しかしそこに写っているのは、荒野の真ん中に立つみすぼらしい看板だけ。お世辞にも、スイートホームを建てるようなところには見えません。
 オープニングのシーンでトラヴィスがさまようテキサスの荒野とポラロイドに写っているなにもない場所は、そのまま彼の心象風景でもあるのでしょう。映像に絡むライ・クーダの音楽が絶妙です。
 父と子が、別れた妻・母を捜して旅に出ます。最初はぎこちなかった父子の関係が道行きの中で修復され、お互いの傷を乗り越えて幸せな家族になっていく。ダメ父は立ち直り、子供は一回り大きく成長して自分の進む道を見つけて歩み始める。アメリカ映画ならそういう展開になりそうですが、ドイツ映画ではそうなりません。トラヴィスは今も荒野を歩いています。
 カンヌ映画祭でグランプリを取り、日本でも高い評価を受けましたが、アカデミーにはノミネートもされませんでした。アメリカ人には分からない映画、…なのかもしれません。

2012年1月10日火曜日

ギルバート・グレイプ(What's Eating Gilbert Grape) - Lasse Hallström(1993)

 アメリカに行った時、飛行機から、だだっ広い砂漠や農場の中にポツリポツリと家が建っている風景をたくさん見ました。一軒家だったり、数件が集まった町だったり。日本でそういうところがあれば老人ばかりの過疎の町であることが多いでしょう。でも、アメリカではそんなところに普通の家族が暮らしています。
 そんな町の一つ、年に一度、キャンピングカーの一団が通り過ぎるアイオワの小さな町に住む家族の話です。
 知的障害を持つ弟や過食症の母の面倒を見なければならないために町から出られない主人公。でも、出られないのではなく、自分から出ようとしないだけなのでは?それで良いのかギルバート。君はもっと広い世界を知るべきなんじゃないか?
 ここには、アメリカンドリームも和解すべき家族もありません。少し波風はあるけれど穏やかな日常。でも、ここは過疎の村ではありません。若い人が住んでいる町。思い出に抱かれて毎日を暮らすわけにはいかないのです。未来がある若者の訣別と旅立ちを、スウェーデン人の監督が温かくやさしいまなざしと静かな語り口で描いています。
 なるほど、空から見た町にはこういう生活があったんだね。
 若き日のレオナルド・デカプリオの演技が鳥肌ものです。

2012年1月8日日曜日

Field of Dreams - Phil Alden Robinson(1989)

 夢は必ず実現する。アメリカ映画のお決まりのテーマですね。
 そしてもう一つ。繰り返し描かれるのが「家族との和解」。父、母、兄弟、妻、夫、子供。和解できないままに長い年月を過ごしてしまった(時には永遠に別れてしまった)ことをくよくよと悔やんでいる姿は、あの自信満々で鼻持ちならない(偏見ですか、すみません)アメリカ人と同じ人種とは思えません。
 神の声(?)に導かれ、とうもろこし畑をつぶして野球場を作ってしまう男の話。そんな馬鹿げた夢を家族が支えます。家族愛、これもアメリカ映画の定番ですね。その球場にシューレス・ジョー・ジャクソンをはじめとする往年の野球選手たちがやってきます。しかし、彼が実現させた本当の夢は球場を造ることではありませんでした。
 静かな語り口でストーリーが進んでいきます。手に汗握るアクションシーンや熱いラブシーンに馴染んだ最近の人のなかには物足りないと思う人もいるかもしれません。でも、この映画を悪く言う人には今だかつて会ったことがありません。
 いくつかの心温まるエピソードの後に迎える映画のラスト。出来上がった野球場で主人公がキャッチボールをするシーンでは涙が止まらなくなってしまいます。その相手は、和解できないままに永遠に別れてしまった父。
 ところで、今手に入るDVDのジャケットのデザインは壊滅的に酷い出来で腹が立ちます。ケビン・コスナーが得意げなポーズで立っているだけ(たぶんアメリカのオリジナル版)ではこの映画の魅力が一切伝わってきません。日本公開時のポスターに使われていた、アイオワの広い空の下に主人公の家族を配したデザイン(たぶん日本オリジナル版)にあふれる幸福感こそがこの映画の魅力だと思うのですが、皆さんはどう思われますか。

2012年1月7日土曜日

Easy Rider - Dennis Hopper(1969)

 BLOGに書きたい映画や音楽がたくさんあるのに、昨日も書いたとおり、思い出せないものばかりで困ります。そう思っていろいろ考えていたら、この映画を思い出しました。
 たぶん高校の頃にTVで一回見たきりなのですが、思い出してみると次から次へと場面が目に浮かんでくるぐらい印象的な映画でした。とは言え、今の今まで忘れていた訳ですからバカボンのパパの言葉を借りれば、「忘れようと思っても思い出せな」かったということですね。
 当時のヒッピー文化を背景に「自由の国アメリカ」の若者を描いた映画の代表のように言う人もいますが、有名なラストシーンはそれを否定しています。あの場面もさることながら、わたしが鮮明に憶えているのは、主役の二人ではなく、ジャック・ニコルソン演ずるアメフトのヘルメットをかぶった男が殺されるくだりです。アメリカは、実はものすごく保守的な「自由が嫌いな国」だった。そして、誰もが「俺が正義だ」と思って行動している、という事実に衝撃を受けました。ジーンズをはきポップスを聴いてアメリカに憧れていた世間知らずの若者だったわたしは、頭からバケツの水をかぶせられたような気がしたのです。
 発表当時も、わたしがTVで見た時も、アメリカはベトナムで戦争をしていました。その後も中近東やアフリカ、カリブ海諸国や旧ユーゴなど様々な地域で戦争や軍事介入を繰り返しています。
 それは正しい行いなのでしょうか(違う気がする)。
 それを考える時、わたしの頭はいつもここに戻ります。この映画のことは思い出さなくても、この映画を見た時に感じた違和感がわたしの「アメリカ観」の基本になっているのです。

2012年1月6日金曜日

Memento − Christopher Nolan(2000)

 古い友人たちからの年賀状を懐かしく見て、昔のことを思い出そうとするのですが、「楽しかった」という気持ちは憶えているのに「具体的に何が楽しかったのか」を思い出せなくて困りました。旅行に行って良い景色だったと感動した場所も、その映像が記憶に甦ってこないことがよくあります。
 人生も半世紀を過ぎると、物忘れがひどくなって情けないですね。
 認知症の患者は、自分が何に対して怒っているかは忘れてしまうのに、「不愉快だった」という感情の記憶だけはしっかりと残るのだそうです。怒りと猜疑心のなかで暮らす毎日は、本人にも介護をする人たちにも辛い日々になります。
 「メメント」は、(認知症とは違いますが)10分間しか記憶が保てない病気に冒された主人公が、殺された妻の復讐をする物語です。復讐を果たしたシーンから、彼の記憶に残る10分単位に時間を遡る斬新な映像手法によって、緊張と意外性に富んだストーリーが語られていきます。10年前に見た時にも衝撃でしたが、冒頭に書いたような経験をした今は、なおさらにその内容が重く感じられます。
 DVDでは時系列に見ることもできるので、見ているうちに話の筋がわからなくなって、自分の物覚えの悪さを嘆くことになった場合には助かります。でも、この映画は逆さに見るからこそ面白いんですけどね。