2011年3月6日日曜日
BALLAD 名もなき恋のうた - 山崎貴(2009)
今日も調布映画祭に行きました。
今日観たのは、あの「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」(監督:原恵一、2002)の実写版。原作が「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」(監督:原恵一、2001)と並び称される傑作だっただけに、あまり期待はせず、つよぽんとガッキーと白組のCGを見に行きました。
公開直前につよぽんが全裸泥酔事件を起こして騒ぎになりましたが、思えば、あの「しんちゃん」の強烈なキャラを実写化できなかったので作品外で彼がハメを外してみたのかも、なんて。原作と比べてしまえばいろいろ意見もありますが、主役二人の好演は良かったですよ。
それにしても、前述のクレしん2作は奇跡のような映画でしたね。ハチャメチャなしんちゃんのキャラクターと、大人の鑑賞にも堪えるストーリー展開が破綻無く見事に作品としてまとめ上げられていました。必見です。
2011年3月5日土曜日
ゴジラ - 本多猪四郎(1954)
調布映画祭が開催中です(明日6日(日)まで)。
「映画のまち調布」ならではのイベントで、毎年、話題作を無料で見られるのがうれしいです。DVDばかりではなく、たまには大画面で見ないとね。
今日は「ゴジラ」の第一作目を見てきました。その後の怪獣映画の原点となる記念すべき作品ですが、改めてみてみると、今更ながらにその後の作品との違いが際だって感慨深いものがありました。
ゴジラに破壊された東京の景色は、空襲の跡のようです。被害者の収容先には野戦病院のイメージがダブって見えます。「お父さんの所に行けるね」と言いながらうずくまる母子、そんな台詞が今の映画に考えられるでしょうか。どの場面にも戦争の影が色濃く落ちています。昭和29年(1954)3月に起きた第五福竜丸の被爆事件が映画製作のきっかけになったと伝えられているとおり、戦争はいやだ、町を焼かれたり愛する人を失うのはもうたくさんだ、というメッセージが痛いほどに伝わってきます。
直接戦争を描いたものではありませんが、寓意に満ちた反戦映画として、怪獣映画なんて子供だましの色物だと言う人にも見て欲しいと思います。
ところで、ゴジラに関する委員会答弁のシーンに、煮え切らない発言をする男性議員を「馬鹿もん!」と一括する女性議員団が登場します。一時期、「戦後強くなったのはパンストと女だ」といわれていたことがあったのを思い出してにやりとしてしまいました。
「映画のまち調布」ならではのイベントで、毎年、話題作を無料で見られるのがうれしいです。DVDばかりではなく、たまには大画面で見ないとね。
今日は「ゴジラ」の第一作目を見てきました。その後の怪獣映画の原点となる記念すべき作品ですが、改めてみてみると、今更ながらにその後の作品との違いが際だって感慨深いものがありました。
ゴジラに破壊された東京の景色は、空襲の跡のようです。被害者の収容先には野戦病院のイメージがダブって見えます。「お父さんの所に行けるね」と言いながらうずくまる母子、そんな台詞が今の映画に考えられるでしょうか。どの場面にも戦争の影が色濃く落ちています。昭和29年(1954)3月に起きた第五福竜丸の被爆事件が映画製作のきっかけになったと伝えられているとおり、戦争はいやだ、町を焼かれたり愛する人を失うのはもうたくさんだ、というメッセージが痛いほどに伝わってきます。
直接戦争を描いたものではありませんが、寓意に満ちた反戦映画として、怪獣映画なんて子供だましの色物だと言う人にも見て欲しいと思います。
ところで、ゴジラに関する委員会答弁のシーンに、煮え切らない発言をする男性議員を「馬鹿もん!」と一括する女性議員団が登場します。一時期、「戦後強くなったのはパンストと女だ」といわれていたことがあったのを思い出してにやりとしてしまいました。
2011年2月10日木曜日
The Long Goodbye - Robert Altman(1973)
昔、ハードボイルドにあこがれていたことがあります。
「男はタフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」(レイモンド・チャンドラー「プレイバック」)なんて言う台詞を呟きながらギムレットを飲んだりしていました。若気の至りですね。
エリオット・グールド演ずる私立探偵フィリップ・マーロウがこの映画のなかで見せる仕草で、「自分にはできないけど、いつか真似してみたい」と思い続けているものがあります。
ひとつはマーロウが列車のなかを歩いていくシーン。大きな荷物を網棚に載せようとして苦労している人の横を通ったマーロウは、声もかけず、足を止めることもなく手を出して荷物を棚に押し込んでしまいます。そしてお礼の言葉も聞かず、というより何事もなかったかのように次の車両へ移っていきます。親切をしたと言うよりは、邪魔だからどけたのだと言うような顔をして。
もう一つは、久しぶりに事務所に帰った彼が、机の上にたまっていた郵便物を一切見ることもなくなぎ払って、ゴミ箱へ放り込むシーン。わたしは絶対に買うはずもない商品のDMでも封を開け、請求書が来ればすぐにお金を払ってしまう小心者なので、とてもこんなことはできません。
もしかしたら違う映画の思い違いかもしれませんが、この二つのシーンが何十年経った今でも忘れられずにいるのです。
2011年1月24日月曜日
めがね - 荻上直子(2007)
「泣ける○○」という言い方がもてはやされるようになったのは、いつごろからのことでしょうか。"It makes you cry."ではなく、"You can cry with it."。成果主義的というか、欲望中心主義というか、おかしな例えになってしまいますが「抜ける○○」みたいに、作品鑑賞とは別な次元で本や映画をとらえているようで、私はこの言い方が好きではありません。
泣いたり笑ったり叫んだり、疾走したり爆発したり、そういう騒々しさから離れて、この映画の中ではただただ平坦に時間が過ぎていきます。この映画で「泣ける」人はいないでしょう。退屈、ですらあるかもしれません。
でも、その「何も起こらない」感が気持ちいいのです。あの不思議な“メルシー体操”にも惹かれます。
仕事や人間関係がつらくなると、「南の島に行きたい」って言い(思い)ませんか。そんなときの気分にぴったりな映画です。
2011年1月21日金曜日
ニュー・シネマ・パラダイス(Nuovo Cinema Paradiso) - Giuseppe Tornatore(1989)
私が小学生の頃までは調布にも映画館がありました。今もパルコキネマがあるじゃないかと言われるかもしれませんが、ビルの中に組み込まれた映画「室」ではなく独立した映画「館」があったのです。
旧甲州街道の布田駅近く、「調布映画劇場」という名前で、ガメラやゴジラの怪獣映画をよく見に行きました。
甲州街道沿いの入口の両脇には、ガラスケースになった掲示板があって映画のポスターやスチル写真が飾ってありました。映画館はそこから少し奥まったところに建っていて、入口で写真を見てから切符を買ってはいるまでのそのアプローチを、映画への期待に胸ふくらませながら歩いていくのです。
楽しみなのは怪獣映画だけではありません。真っ暗な映画館の中は、それだけでもわくわくする空間です。その片隅で、予告編や併演される映画を見て、まだ知らない大人の世界への興味を募らせていたのでした。
私より前の世代の人たちにとって、「映画」あるいは「映画館」は特別な意味を持つようです。誰もがその思い出を思い入れたっぷりに語ります。この映画(の劇場公開版)は、そんな映画懐古世代のハートをわしづかみにします。後ろばかり見ていてはいけないと思いつつも、縁側でひなたぼっこをしながら渋茶を飲んでいる老夫婦のように、思い出の世界に浸って涙していまいます。
ある映画を見に行った帰り、弟が映画館に帽子を忘れた事に気がつきました。映画館に戻れば、見たかったTV番組(たぶん、キャプテンスカーレット(サンダーバードのあと番組))に間に合いません。「あぁ残念だなぁ」と思ったあの時が、私と映画の、あるいは映画時代とTV時代の別れ目だっただろうかと、今、ほろ苦く思い出します。
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