2012年7月8日日曜日

許されざる者(Unforgiven) - Clint Eastwood (1992)

 NHKの大河ドラマ「平清盛」について、兵庫県知事が「画面が汚い」と苦言を呈したことがニュースになったことがありました。確かに、十二単の美女や緋縅の兜姿も凛々しい男前の武士が塵一つない舞台で演じてきたかつての大河ドラマに比べれば、ぼろをまとった汚い登場人物やほこりっぽくてみすぼらしい景色など、これまでとはかなりギャップのある内容であることは確かです。けれども、決してきれい事ばかりではない、荒ぶる武士(もののふ)の創生期の空気感を表すには良い演出ではないかと、わたしは思っています。
 しょせんは人殺しのドラマ、時には親子兄弟でさえも殺し合うような血なまぐさい話です。平清盛もなんとか組の組長もたいして変わんないでしょ。そこに何を期待しているのさ、そんなことをふと思ったりもするのです。
 日本の侍に対するのが西部劇のガンマンです。アウトローとカタカナにするとかっこいいですが、無法者、つまりやくざじゃないですか。もろ手を挙げて賞賛するような対象じゃないだろ。西部劇育ちのイーストウッドが、この映画ではそんな問いを投げかけています。
 引退したガンマンが、正義のために立ち上がって悪者を倒しに行きます。いや、正義のためではなく賞金のためでした。その賞金も私憤のためにかけられたものです。相手がトイレに入っているところを襲うという卑怯な方法で賞金を手に入れます。撃つ方も撃たれる方も無様で救いようがありません。保安官も暴力的で嫌なやつです。誰が善で誰が悪なのか白黒つけられない、登場人物のすべてが「許されざるもの」なのです。
 いえ、それだけではなく、これまでの美学に満ちた西部劇を作ってきた映画人、それを支持してきたわれわれ観客をも「許されざるもの」なのだと言っているのではないか。 そんなことを考えさせられます。
 見終わった後、「イーストウッドはいつ見てもかっこいいね」などと、間違っても言ってはいけません(たぶん言わないと思うけど)。そんな映画です。

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