2012年6月18日月曜日

f植物園の巣穴 - 梨木香歩(2009)

 仕事からの帰り道、わたしの目の前で、雨に濡れた夜道をゲジゲジが滑るように渡っていきました。以前には、ヒキガエルやヤモリに出会ったこともあります。夜になると(特に湿気の多い日は)昼間は姿を見なかった生きものたちがぞろぞろと姿を現します。一般には敬遠されがちな彼らも、夜の闇の中で会うとなぜかいとおしく感じるのが不思議です。
 彼らは、闇の向こうにある別の世界から来ている気がします。雨が、墨を滲ませるように、夜の世界の輪郭を曖昧にしたその隙間から這い出して来ているように思えるのです。
 梨木香歩の書く物語には、そんな「世界の境目」を自由に往き来する人や生きものが登場します。彼らはぬか床からわきでてきたり、死後の世界から舟を漕いで訪ねてきたり、あるいは鏡の向こうの世界へ行ったりします。人形やサルスベリや石像がなんの違和感もなく語りかけてくることもあります。海の向こうにある異国の存在を誰も疑わないように、その異国から来た人がコンビニのレジを打っていても誰もおかしなこととは思わないように、我々が人間界、あるいは現実世界と呼んでいる世界からもう少し外側へ広がった世界と、そこに棲む(?)ものたちの物語が当たり前の事柄として語られるのです。
 この本の主人公は、ひどい歯痛に悩まされたあげくに、f植物園の中を時間と場所を越えて彷徨います。そこで体験する不思議な事柄について、「むろん科学的にはあり得ぬが、事態がこう進展してきた以上、私もいつまでも自然科学的常識に固執するものではない。その「系」の中の合理というものがあることぐらいは承知している」と言って、異界の存在を認めています。
 けれど、これは水木しげるが書くような妖怪話ではありません。どの物語でも、主人公はそんな世界との関わりを通して「再生」していきます。「生き返る」「生まれ変わる」と言っても良いかもしれません。心にわだかまっていた何かから解き放たれ、辛い状況を克服して、傷から立ち直ったり、新しい生き方を見つけたりするのです。自分の力では、人間の力では、科学の力ではどうしようもない困難を克服するために、異界のものたちが力を貸してくれるのです。
 病の床で、熱に浮かされ朦朧とした意識の中で突拍子もない夢を見ることがあります。その夢の力によって病から快復することができた。そんなことを思うことがあります。
 彼女が語る物語はどれも、主人公たちが病の床(象徴的な意味で)で見た夢物語なのかもしれません。

2012年6月8日金曜日

ラン・ローラ・ラン(Lola rennt) - Tom Tykwer (1998)

 「あぁ、あの時こうすれば良かった。」
 そう思う瞬間が人生には何度もあります。それとは別に、ほんの少しのタイミングの違いで変わった(のかもしれない)運命に驚くこともありますね。例えば、あの時電車に乗り遅れていなければあなたに会わなかった、みたいな。
 ローラはトラブルを起こした恋人のためにベルリンの街を走ります。彼女に残された時間は20分。その時間を惜しんで、とにかく彼女は走ります。彼のもとへとただひたすらに走ります。映像も音楽も一緒に走ります。その疾走感がかっこいい。
 その20分間のドラマが、ビデオを巻き戻すように3回繰り返されます。ところが、1回目と2回目は微妙に違う。2回目と3回目も違います。ほんの一瞬のタイミングの違いから、物語は別々の結末へと導かれていくのです。
 たとえば、ローラが車の前を横切るタイミングがちょっと早かったり、ちょっと遅かったりすることでローラの運命が変わります。それだけではなく、車を運転している人の人生も違った方向に進んでいくのです。
 斬新な映像手法で語られる、そういうサイドストーリーも面白いですね。電車の中でたまたま前に座った人がうれしそうな顔をしていると、今朝何があったんだろう、これから何があるんだろうと想像をたくましくすることはありませんか。そうすると、あんまりわたしがじろじろ見るもんだからその人が席を立ってしまい、そこで彼/彼女の人生が変わってしまったかもしれないとまた別の想像をする。その時のわたしの頭の中の映像が見えたらこんなかな、みたいな感じです。
 前回取りあげた「未知との遭遇」とはまた別の意味で、 "We are not alone." な映画です。

2012年6月5日火曜日

未知との遭遇(Close Encounters of the Third Kind) - Steven Spielberg(1977)

 これは狸に化かされて、狐が憑いたアメリカ人の話です。そんなことを言ったらスピルバーグや多くのファンに怒られそうですが、最近、唐突にそんな考えが頭に浮かんできました。
 物語の冒頭に登場するバリー少年の家は、広い農場か原野のただ中にあって、夜の闇の中では地上には何も見えず、満天を覆う星の光が不気味に思えるほどの寂しい景色がまわりを包んでいます。日本なら竹藪や葭原の陰から出てきたもののけに化かされるところですが、だだっ広いアメリカに何かが隠れるような物陰はありません。だから空が怖い。幾千の目で見つめられているような星空が怖い。
 そんな闇夜に化かされて出会うのは妖しく色っぽい女性ではなくUFOなんだろうな、そんな気がしたのです。
 もののけ(あるいは宇宙人)たちは恐ろしいもの、あるいは人をたぶらかす悪いヤツのように思われがちですが、昔の人はそれを敵対するものとは考えず、同じ世界に生きる仲間として畏れ敬ってきました。そして、人智の及ばないことがらを物語にしてうまく処理する知恵も持っていました。「昔の人」と書きましたが、今もそういう人はいるでしょう。われわれが迷信や絵空事と思っていることも、ある時点、ある観点では真実なのです。

 「狸に化かされた」と言って、超自然現象を素直に受け入れられる人たち。彼らが目が覚めるまでに見た夢物語を聞いて、暗闇の無くなった現代都市に生きているわたしたちは、暗闇と一緒に何か大切なものをなくしてしまったんじゃないか、と気づきます。そして、その物語に懐かしさと、心温まる思いを感じるのです。

We are not alone.
あなたは信じますか。