2011年12月26日月曜日

チャーリーとチョコレート工場(Charlie and the Chocolate Factory) - Tim Burton(2005)

 ティム・バートンの映画には、ちょっと不気味なキャラクターたちが沢山出て来ます。
 住人を追い出そうとする家主の幽霊、手がハサミになっている青年、ハロウィンの魔物たち、死人の花嫁、おとぎの世界の変人・奇人などなど。どれも恐ろしげではあるけれど愛すべきキャラクターとして描かれていますよね。
 ところが、この映画には、とてつもなく憎々しい嫌な性格の「普通の人間の子供たち(とその親)」が沢山登場します。彼等がいろいろな形でお仕置きを受ける、それがこの映画のメインのストーリーです。
 その仕置き人(?)を務めるのが、チョコレート工場の従業員ウンパルンパ。一応普通の人間ですが、全員同じ顔をした小人で未開の国からやってきたという設定になっており、彼の映画で活躍する異形のものたちの系列に連なるキャラクターです。彼等がお仕置きのたびに披露する歌と踊りがとても楽しくて、そのためだけに何度も見たくなってしまうほどです。
 ティム・バートンは、向こうの世界の魔物より、こっちの世界の人間の方がよっぽど嫌いなのでしょうか。

2011年12月25日日曜日

The Nightmare Before Christmas - Henry Selick(1993)

 今日はクリスマス。朝起きて、枕元にサンタさんのプレゼントはありましたか?
 多くの日本の人たちは、キリストの誕生日であるクリスマスではなく、お祭りとしてのクリスマスイブの方をメインイベントと考えていますよね。ですから25日になると、クリスマスツリーが門松に置き換わり、街は打って変わって静かで地味に装いを変えてしまいます。
 昔、婚期を逃した女性を「クリスマスケーキ」と揶揄する悪い冗談がありましたが、そのくらい、24日と25日の落差は大きく感じられます。私はそんな寂しいクリスマスの朝が昔から嫌いでした。
 以前、年末年始休みを利用してアメリカに旅行したことがあります。むこうではクリスマスから新年までを"Holiday Season"としてお祝いしますから、25日を過ぎてもクリスマスツリーやサンタクロースの飾りが街を彩っていました。なるほど私はこの方が好きだな、と思ったことを思い出します。
 さて、われわれとはまた別の意味でクリスマスを取り違えてしまったハロウィンタウンの面々が引き起こす騒動を描いたのがこの映画です。ちょっと怖くて不気味だけれど憎めないキャラクターたちが織りなす、せつなくて、でも最後には幸せな気分になれる物語はティム・バートン(原案・製作)の真骨頂ですね。ストップモーションアニメーションで生き生きと動き回るゴーストたちがキモカワいいです。
 クリスマスを過ぎても、是非! 何度でも観てください。

2011年12月24日土曜日

Season's Greetings - 山下達郎(1993)

 ホリデイ・アルバムをまだ何枚も紹介していないのに、もうクリスマスイブになってしまいました。最後の1枚は山下達郎です。
 曲を紹介される時に「あのJR東海のCMで有名な」と枕の付くことの多い"Christmas Eve (English Version)"が収録されていますが、本人もライナーノーツで「クリスチャンでもない私がクリスマス・アルバムを出すことに、どういう意味があるのか」?と言っているとおり、クリスマス以外の曲も含めた内容になっています。
 ところでそのCMですが、遠距離恋愛らしいカップルのクリスマスの夜がテーマでしたね。久しぶりに会う二人のときめきや不安をミニドラマ仕立てにして話題を呼びました。
 ことしは天皇誕生日からクリスマスまで3連休になって、家族や恋人と、いつもより幸せなクリスマスを過ごされるという方も多いのではないでしょうか。一方で、例年とは違った寂しい夜を過ごされる方もいることと思います。どんな境遇にある方にも、神様のお恵みが等しくありますように、そう祈らずにはいられません。
 さてこのアルバム、多重録音による一人アカペラコーラスで歌われる曲が何曲か入っています。歌詞は英語。英語のアカペラものと言えばマンハッタン・トランスファーなどが思い浮かびますが、一人で歌っているので声質が全部同じで英語も日本人の発音、選曲も欧米人の趣味とは少し違うようで、それがなんとも不思議な味わいです。ある意味、ホリデイ・アルバムに慣れていない方には聴きやすいかもしれません。「おしゃれ」とか「楽しい」というよりは、少し「厳粛」という方に針が振れるような聴き心地ですが、あくまでもポップな仕上がりです。
 それではみなさん、良いクリスマスをお過ごしください。

2011年12月20日火曜日

Vol. 2-This Warm December - Various Artists(2011)

 ハワイ出身のシンガーソングライターJack Johnsonが主催するブラッシュファイアー・レコーズの所属アーティストたちによるホリデイ・アルバムです。
 知っている人も聴いたことのある演奏もありませんでしたが、クラフト色の紙ジャケットを手にした時、タイトル通り温かい気持ちになれそうな気がしました。
 予感は的中。フォークなのかカントリーなのか、ジャンルはよくわかりませんが、山小屋で暖炉を囲んで歌っているようなアコースティックな演奏に心が和みます。
 Jingle Bell Rockなど数曲を除き、ほとんどがオリジナル曲なのでクリスマスシーズン以外に聴いても良いかもしれません。温かいコーヒーをマグカップで飲みながらどうぞ。

2011年12月18日日曜日

TRAIN-TRAIN - THE BLUE HEARTS(1988)

 泣いてしまいました。
 夜勤明けで帰ってきて、家族が出かけた後の家で食事をしている時、ふとTVをつけるとNHKのど自慢の年間名場面集をやっていました。そのハイライトに、被災地岩手県で開催された回の映像が流れたのです。
 被災者本人やその家族・友人、ボランティアで縁があった人などがそれぞれの思いを込めて歌います。土地の民謡であったり流行歌であったり、形は様々ですが、その歌には被災者への励ましや、被害にあった故郷への愛が満ちていました。どの歌も、まるでそのために作られたかのように、歌う人、聴く人の心に寄り添ってきます。

  世界中に建てられてる どんな記念碑なんかより
  あなたが生きている今日は どんなに意味があるだろう

 若い男の人がブルーハーツを熱唱していました。わたしも昔、カラオケで歌ったことがあります。その時には、「ノリのいい歌だ」ぐらいにしか思っていませんでした。それを今日改めて聴いて、このフレーズに思わず泣いてしまったのです。
 何でもない日常が、いまはとても大切でいとおしいものだと感じられます。「ささやかな人生」とか「平穏な日常」とは対極にあるような激しい歌ですが、そういうものを守っていくために走っていこう(がんばろう)というメッセージに聞こえます。その激しさ(エネルギー)に未来への希望を感じます。
 本来の意味とは違う解釈かもしれませんが、今は、そう思って聴きました。

2011年12月11日日曜日

Snowbound - Fourplay(1999)

 タイトル曲を聴いた時、オリジナルを思い出すのに時間がかかりました。ほかのアーチストのホリデイ・アルバムでも、コンピレーション盤でも聴いたことがないのに、とてもよく知っている曲だったからです。
 こう言う時パソコンは便利です。iTuneでわたしのライブラリーを検索してみると、出て来た名前は「Kamakiriad - Donald Fagen」。
 え!? 言われてみれば確かにその通りなのですが、あれがクリスマスの歌だとは思ってもいませんでした。
 耳タコのクリスマスソングばかりではつまらないと、Steely Danにも縁のあったギタリストのLarry Carltonが選んだのかもしれません。おざなりな企画ものではどれも似たようなものになりがちですが、こういうところにアーティストの個性が出たものに出会うと楽しいですね。
 リラックスして聴けるスムースジャズ(昔はフュージョンって言ってたかな?)の佳品です。

2011年11月10日木曜日

Twelve Monkeys - Terry Gilliam(1995)

 先日、東京電力福島第1原発事故による警戒区域内で行方不明者の一斉捜索が行われたというニュース映像に、無人の集落内を駆けていくダチョウの姿が写っていました。
 この映像、どこかで見たような…。
 そう、「12モンキーズ」で見た、高速道路を走っていくキリンの姿です。謎のウィルスにより人類の大部分が死滅したという未来社会を描いた作品のワンシーンに、津波と原発の被害によって人影の消えた福島の姿がダブって見えました。
 人類の滅亡を阻止するため、" ウィルス"発生前の時代にタイムトラベルする主人公がブルース・"ウィリス"って、アメリカにもオヤジギャグってあるのか?と思いましたが、"virus"の発音はウィルスではなくヴァイラスですから、Bruce Willisとは全く関係ありませんね(^^ゞ。
 それはともかく、この映画での、ブラピ(Brad Pitt,)の見事に"イッちゃってる"演技は良かったですね。イイ男役の多い彼ですが、演技の幅の広さを感じさせてくれました。同時期の"Seven"(David Fincher)と並んで、わたしの好きなブラピ映画のひとつです。
 もちろん、テリー・ギリアム監督の描く映像世界や幾重にも伏線の重なる脚本、ブルース・ウィルスの演技も魅力的。おすすめです。

2011年11月6日日曜日

Gattaca - Andrew Niccol(1997)

 突然ですが、孫が生まれました。「おじいちゃん」と呼ばれる年になったかと思うと、ちょっとショックですが、しばらくかわいい子供から遠ざかっていたのでうれしくもありますね。
 最近は胎内にいる時から性別がわかるので、生まれてくる時のハラハラがなくてつまらないような気がしていましたが、やっぱり生まれるその時にはどんな子が生まれてくるのか心配でドキドキしました。親でもないのに(^_^)。
 さて、この映画は、遺伝子操作によって生まれた優秀な「適正者」に、欠陥遺伝子が引き継がれているかもしれない自然妊娠による「不適正者」が差別される近未来の社会を描いています。未来といわず、現在の世界にもあり得そうで、ちょっと怖くなりました。
 ハンサムなジュード・ロウが、いかにも適正者という感じで出演していますが、彼が演じるジェロームは下半身不随の車椅子生活を余儀なくされています。不適正者の主人公は、彼から血液や尿などを買い取り、健康診断による検査をかいくぐって適正者になりすまし、宇宙飛行士になりたいという夢に向かって進んでいる、というお話です。
 神が造りたもうたものに間違いはない。世の中に「不適正」な人間なんていない。自分の運命は自分で切りひらくもの。夢は必ず叶う。…といった感じで、テーマはお決まりのヒューマニズム映画、と言っては元も子もありませんが、きれいな映像と落ち着いた音楽。登場人物たちも魅力的に描かれていてスクリーンから目を離せません。
 最後、ジェロームが選んだ運命に、胸が熱くなりました。

2011年11月4日金曜日

Blade Runner - Ridley Scott(1982)

 誰に聞いてもランキングの上位に入るSF映画の名作ですが、なぜかストーリーの細部を思い出すことができません。目に浮かぶのは酸性雨が降り続く陰鬱なロサンゼルスの街並み。芸者ガール(?)を映し出す巨大スクリーンとそれを取巻くケバケバしいネオンサイン、屋台の日本人の親父とハリソン・フォードの噛合わない会話のシーンばかり。それほどに、この映画が提示した未来観はショッキングでした。
 子供の頃思い描いていた、あのキラキラとした未来はどこに行ってしまったのでしょう。猥雑で混沌とした未来像を見せられて、わたしは途方に暮れました。
 住みづらくなった地球を出て、人々は宇宙で暮らすようになったという設定です。昔夢見ていた宇宙旅行や宇宙都市は実現しています。もしかしたら、宇宙に出て行った方の人たちの世界はキラキラしているのかもしれません。でも、それがすべてでは無いようです。
 残された人々の暮らす街は限りなくアジアっぽい。香港や東京の景色と大差はありません。未来は必ずしも明るくない。われわれは、明るい未来と明るくない未来、それぞれの社会に階層化される。そんな夢のないことを言うなよ、と自分でも思いますが、たぶんそう言うことなのです。
 バラ色の夢ばかりを描いてきた理科系に対する、文化系の皮肉な逆襲でしょうか。実際、地球温暖化や原発事故、繰り返されるテロ、収束しない国際紛争など、現時点ではまだ脳天気な未来像は描けそうにありません。この映画を見た30年前には、まだ、そこまで思い至りませんでしたが、今になってその意味するところがわかってきたような気がします。

2011年10月29日土曜日

平成ガメラ三部作 - 金子修介(1995、96、99)

 映画は絵空事だから、怪獣が東京タワーを折ろうが大阪城を壊そうが誰もそれを恐怖だとは感じません。それで自分の住んでいる町が壊滅したり、友達や親戚が死ぬとは思えない。「もっと壊せー」と快哉を叫ぶ人も出るほどです。
 絵空事だった怪獣映画に、できる限りのリアルを求めた点で平成ガメラ三部作は新鮮でした。「怪獣も腹が減れば人間を食べるんだなぁ」などとそのリアルな描写に感心して見ていると、マスコミが大騒ぎをしているにも関わらず遠い世界の出来事のように聞き流して、そのあげくに怪獣被害に巻き込まれてしまう人たちの姿が映し出され、「あっ、これって今の俺?」と気づかされたりするのです。
 三作目の「ガメラ3 邪神(イリス)覚醒」(1999)の主人公は、一作目の「ガメラ 大怪獣空中決戦」(1995)の際に、ガメラとギャオスの闘いに巻き込まれて両親を亡くした少女です。ガメラはギャオスやレギオン(「ガメラ2 レギオン襲来」(1996))を倒した正義の味方なんじゃないか、と問う友人に対して、「あんたもガメラに家を壊されて大事な人を踏みつぶされてみなさいよ」とガメラへの憎しみをあらわにします。
 「街中で怪獣が戦えば、悪気はなくてもたくさんの人が巻き込まれて被害に遭う」という現実とともに、たとえ正義であっても強大な力には功罪相半ばした危険がつきまとう、ということを思い知らされるシーンです。
 福島原発事故のニュースに接した時、彼女の怖い顔が脳裏に蘇りました。
 「あんたも原発に家を奪われて大事な人と離ればなれになってみなさいよ」と。

2011年10月26日水曜日

Dancer in the Dark - Lars von Trier(2000)

 気持ちの整理をするのに、エンドクレジットの時間だけでは足りません。「ノーマンズランド」と同様、この映画も、見終わったあと言葉を失って立てなくなる映画です。
 目の悪い(やがて失明する)母が、同じ病に冒されている息子の手術代のために爪に火をともす苦労をして貯めたお金を信頼していた隣人に盗まれ、誤ってその隣人を撃ってしまったことから死刑になってしまうと言う話。減刑に値する事情がいくらでもあるのに、彼女は一切の弁明をせずに刑を受け入れるのです。
 同監督の1996年の作品「奇跡の海」は、下半身不随になった夫を救うために見ず知らずの男たちに身を任せ、そのあげくに命を落とす女性の話でした。
 共通しているのは、愛する人のために自分の命すらも投げ出す主人公の姿です。
 しかしながら、同じ「献身」であっても、例えば身を挺して津波から人々を守った人たちのような英雄的なそれとは明らかにその形が違います。彼女たちはそれで報われるのでしょうか。その愛を受け取った人々は、本当に救われるのでしょうか。なかには、彼女たちを愚か者だという人もいるかもしれません。そんな悲しいことがあって良いのでしょうか。
 宗教観の違いなども関係しているのかもしれませんが、人によってはただ辛いだけの映画になってしまうでしょう。
 ビョークの歌が好き、なんていう軽い気持ちだけでは観ないようにお勧めします。

2011年10月24日月曜日

No Man's Land - Danis Tanović(2001)

 昨日に引き続きボスニア紛争の話です。 戦争(紛争)の理不尽と不条理を、こんなにも痛感させられる映画は観たことがありません。
 セルビア軍とボスニア軍が相対する前線の中間地帯(ノーマンズランド)に取り残された二人のボスニア兵士とセルビア兵士が一人。二対一ならさっさとセルビア兵を倒して部隊に戻れば良さそうなものですが、ボスニア兵の一人は地雷の上に寝かされて身動きがとれない、という絶望的な状況で話が進みます。
 自国を勝利に導く英雄の誉れも、運命に翻弄される母子の悲劇も、ましてや極限状態の中でいつしか芽生える敵対関係を越えた愛や友情もここにはありません。見終わって感じるのは救いようのない虚脱感とやるせない思いばかり。
 コメディの形をとっていることが救いになっている一方で、またそれがかえって、真実に肉薄し戦慄を呼び起こす結果にもなっています。
 戦場から遠く離れた異国の街で声高に反戦を叫ぶ人たちも、家に帰れば幸せな家族に囲まれて平和な時を過ごすのでしょう。その夜の夢には戦場の悲しみも苦しみも、その影すらも現れないにちがいありません。そんなことで良いのかよ、と毒づいてみたくなる、でも自分だってわかってないじゃないかと反省する。見終わると、そんな思いが頭の中でぐるぐると回って止まらないのでした。

2011年10月23日日曜日

ユリシーズの瞳(To Vlemma tou Odyssea) - Theodoros Angelopoulos (1995)

 1991年のスロベニア・クロアチア独立宣言に始まるユーゴスラビア紛争は衝撃でした。
 それまで「戦争」は知っていましたが「紛争」というものがどういうものか、実感として認識できていなかったのです。
 たとえば大阪が日本から独立を宣言したとして、隣の家に住む大阪出身の家族に、昨日まではにこやかに接していたのに一変して銃を向けるということがあるのでしょうか。ランチに出かけると、「東京のうどんは汁がドブみたいな色してるで」と言った大阪人がその場で射殺され、その報復にそば屋が襲撃されて店主が道に引きずり出されて暴行を受ける、なんていう光景を見ることがあるでしょうか。それに端を発して、商店街は銃撃戦の舞台になり、建物は破壊され多くの血が流される。そんなことが想像できますか。
 この映画の終盤に主人公は霧に覆われたサラエボの街を歩きます。霧の中で出会う人たちは、争いなんかどこでやっているの?という顔をして散歩を楽しんでいる様子。銃声も爆発の音も聞こえません。一組の家族が彼を追い抜いていきました。ところが、霧の中で一人になった彼が次に見たものは、みどりの草地の上に死体となって横たわるその家族の姿だったのです。おそらく、霧の中でセルビア人に出会って殺されたのでしょう。殺人事件ではなく、紛争(戦争)の結果として。その静かな死に、ユーゴスラビア紛争の中でも最も悲惨だったボスニア・ヘルツェゴビナのリアルを見た気がしました。
 たくさんの戦争映画やニュース映像を見てきましたが、この霧の中の死体以上に恐ろしく、悲しいものは記憶にありません。

2011年10月22日土曜日

鉄塔 武蔵野線 − 銀林みのる(1994)

 冒険のはじまりは何かを辿ってみること。例えば川の源流を探したり、鉄道路線の終点まで行ってみるとか。それは旅や散歩でも同じこと。
 それに何かを集めることが加わると、楽しさが倍増します。キロポストを拾いながら多摩川サイクリングロードを走るとか、スタンプラリーで鉄道全駅のスタンプを集めて完乗するとか。
 ある夏の日、少年の冒険は「75−1」という番号が付けられた高圧鉄塔から始まります。電線(武蔵野線)に沿って74、73、72、…と鉄塔を数え、友達と二人、1番の立つ(はずの)原子力発電所を目指して自転車を走らせて行きます。
 冒険の過程で、少年たちは様々な困難を乗り越え、多くの人とふれあい、新しい経験を積み重ねて成長していく、 というとありきたりですが、実はそんなことはこの本の中ではどうでも良いこと(!?)なのです。
 ほかの作者なら、「30番台を過ぎ、20番台をクリアしていくうちに、高かったはずの夏の太陽は西の地平線の間際まで近づき、23番に着いた時にはもう番号表示がほとんど見えなくなっていた。」みたいな感じで、冒険を(中略)とすることでしょう。ところが、この本では律儀にすべての鉄塔が描写されるだけではなく、実際の鉄塔の写真までが丁寧に付されているのです(わたしの持っている新潮文庫版より、新装なったこのソフトバンク新書版の方が、写真が充実しています)。
 鉄塔なんかに興味はなくても、この「鉄塔LOVE」な一途さについつい引き込まれて読了してしまう。そして、自分も鉄塔巡りをしてみようかなと、ふと思ってしまう、そんな不思議な小説です。

2011年10月17日月曜日

Piano de Bossa - Febian Reza Pane(2009)

 職場でBGM係をやっています。というか、そのつもりはなかったのですが、たまたま去年のクリスマスシーズンにわたしのクリスマスライブラリをiPodにいれて持っていったら、そのiPodがそのまま職場のBGM用になってしまいました。
 歌ものはダメだというので、イージーリスニングやおとなしめのJAZZなどを選曲して流しています。いつも同じ曲ではつまらないので、プレイリストをいくつか設定して適宜切り替えているのですが、気がつくと誰かが選曲を変更してこのアルバムが流れていることが良くあります。職場では超ヘビーローテーションのアルバムです。
 ボサノバの定番曲やボサノバアレンジの映画音楽をピアノトリオの洗練された演奏で聴かせてくれます。流れていても気にならないぐらいさりげないのに、聴きはじめると耳を澄まして聞き入ってしまう不思議な味わい。聞き流しても、じっくり聴いても、まったり、ほっこり、リラックスできること請け合いです。

2011年10月15日土曜日

川の名前 - 川端裕人(2004)

 私たちが住んでいるこの土地に雨が降ると、その水は必ずどこかの川に流れていきます。地表を流れていく場合もありますし、地面に染み込んだものは地下水脈を通して、下水に流されたものも処理場を経てどこかの川へ運ばれます。
 下水場に行ってしまうものは定かではありませんが、自然に流れていく限り、その行く先は同じ川。その川の名前が、その土地の住所になる、というのがこの本の題名の由来です。 「調布市」という住所は人間にしか通じませんが、「地球・日本列島・多摩川流域野川沿い」ならば動植物を含めて誰にでも通じる住所になると言うわけです。
 少年たちの一夏の冒険を描いたこの本は、乱暴にまとめてしまえば「映画「E.T.」(1982)と「スタンド・バイ・ミー」(1986)を合体したようなお話」なのですが、舞台となっている「川」に対する登場人物たち(もちろん作者含む)の関わり方と思い入れの描き方が素敵な小説です。
 「自然を大切に。川をきれいにしよう。」とよく言いますが、「なぜ?」と問われるとうまく説明できないものです。川の名前を考えることが、その意味を教えてくれるような気がしました。
 喇叭爺のこの言葉が心に残ります。
 『足もとを見よ、川の名前を考えよ、そして、遠くへ旅立ち、いずれ戻ってこい』

2011年10月3日月曜日

恐竜100万年(One Million Years B.C.) - Don Chaffey(1966)

 昨日(10/2)閉幕した「恐竜博2011」(国立科学博物館)には、3ヶ月の会期中に58万8252人の来訪者があったそうです。わたしも怪獣や恐竜が大好きなので、子供の頃はよく科学博物館に行きました。
 そんな小学生時代、新宿の東映会館(たぶん)に家族で見に行った恐竜映画です。わたしは「サンダーバード」(有人火星探査ロケット「ゼロ-X号」が登場する劇場版第一作目)を見に行ったつもりだったのですが、劇場に着いてみるとこの映画との二本立て。結果的にはこっちの方が思い出に残っています。着ぐるみの日本怪獣とは違って、ストップモーション・アニメーションで撮影された恐竜の動きはリアルで、特にトリケラトプスとケラトサウルスが対決するシーンの印象は強烈でした。
 恐竜研究(とCG技術)が進んだ現在では恐竜の描き方が随分と変わりましたが、「ジュラシック・パーク」が世に出るまでは、この映画が恐竜映画の最高峰でしたね。
 原始人の衣装(!?)で肉感的な肢体を惜しげもなく見せていたヒロイン、ラクウェル・ウェルチが良かったのか、父親が機嫌良く、帰りに「追分だんご」に寄りました。それまで、おやつのみたらし団子しか食べたことがなかったので、ビルの中の団子屋で高級な(?)団子を食べる、という経験に衝撃を受けたことを思い出します。

2011年10月2日日曜日

カンフーパンダ(Kung Fu Panda) - John Wayne Stevenson/Mark Osborne(2008)

 この映画を映画館で観たときには感動しました。
 ストーリーもそれなりに感動ものではあるのですが、それよりも何よりも、劇場内の子供たちの素直な反応に胸を打たれたのです。
 大人になって、あまり大きな声で笑わなくなりました。デブで食い意地の張ったパンダがおかしなことをしてもちょっと唇の端を曲げてみるぐらい。多少怖いシーンがあっても、特に息を詰めたりはしません。
 ところが子供たちの反応は素直です。笑う場面ではドカンどかんと笑い声が爆発し、悪役が登場する緊迫したシーンでは水を打ったように静まりかえります。カンフー対決のシーンでは悲鳴や応援のかけ声が場内に渦を巻いて大変な騒ぎでした。
 「ニューシネマパラダイス」の中にも、観客たちが一体となって映画を楽しむシーンがありました。 そういう、一人でDVDを見る時には決して味わえない映画ならではの感動体験を思い出させてくれたのが、この映画だったのです。
 ジャッキー・チェンのカンフー映画が好きな方なら、お話そのものも楽しめるはず。子供だましの漫画映画と思わずに、できれば大勢の子供たちと一緒に観てください。

The Driver - Walter Hill(1978)


 強盗を逃走させるためだけに雇われた「ドライバー」をライアン・オニールが演じる、その名も"The Driver"。
 深夜のロサンジェルスを疾走するカーチェイスのシーンが見所なのはもちろんですが、プロ意識の高いthe driverが、気に入らない依頼人の車を超絶のドライビングテクニックでボコボコに壊してしまうシーンや、ただ逃げるだけではなく、最後はチキンゲーム(※)できっちりと決着を付けるところなど、男の美学みたいなものが表現されていて、古い時代劇や西部劇を観ているような気分にさせられます。
 無駄口を叩かない登場人物たちには名前もなく、屈折した過去や一夜のロマンスみたいな余計な味付けもありません。無駄な景色の映り込まない夜の街を舞台に、裏世界の駆け引きが淡々と語られていきます。「ハードボイルド」とはちょっと違うかもしれませんが、ドカンボカンとけたたましいだけの昨今のアクション映画にはないクールな味わいが忘れられない映画です。
※ チキンゲーム : 正面衝突覚悟で両側から猛スピードで車を走らせ、先に逃げた方が負けという決闘シーン

2011年9月29日木曜日

TAXi - Gerard Pires(1997)

 前回紹介した「ミニミニ大作戦」は、イギリスの泥棒たちがイタリアの警察を相手にカーチェイスをする話でした。
 となれば、次はこれ。フランスのプジョー(TAXI)とドイツのメルセデス・ベンツ(強盗団)がマルセイユの街を疾走する独仏対決が見物です。
 鮮やかな手口の強盗団に対するダメダメな警察という構図は定石通りですが、そこで登場するお助けマンがスピード狂のタクシー運転手というところがミソ。圧巻は、彼の前職だったピザ配達仲間たちの応援も得てメルセデスを追い詰めるラスト。海に落としたり横転させたりと殺伐とした絵になりがちな決着を、あっと驚く見事な方法できれいに片付けたところには思わず拍手を送ってしまいました。
 シリーズは第4作まで続いていますが、以降、空を飛んだり雪山を走り降りたりと暴走モードに入ってしまうところが、(それはそれなりに面白いのですが)、ちょっと残念です。
 全く同じ脚本でフォード対BMWの米独対戦にしたリメイク版"TAXI NY"(2004)では、主要人物の男女が入れ替わってセクシー美女強盗団がかっこいい走りを見せてくれました。ちょっと鼻の下が伸びましたね。

2011年9月27日火曜日

Seven Times Seven(新・黄金の七人 7×7) - Marco Vicario(1968)

 前回からのサッカーつながりで、この映画を思い出しました。
 刑務所に服役中の7人が、「おとなしくサッカー中継を見ている」ことになっている90分の間に脱走して造幣局に忍び込み、本物の紙幣を刷ってまた刑務所に戻り、出所後に大金をせしめる(はず)という痛快なコメディ映画です。
 奇想天外かつ巧妙な手口と、ハラハラドキドキなのに笑っちゃう展開。音楽もおしゃれです。シリーズ前2作でお色気を振りまいていた、「ルパン三世」でいえば峰不二子にあたるロッサナ・ポデスタ(Rossana Podestà)が出演しないのは残念ですが、面白さは一番かな。
 ところで、この映画はイタリア映画でしたが、この翌年に発表されたその名も"The Italian Job(イタリア人の仕事)"というイギリス映画(邦題:ミニミニ大作戦)も小粋ないい映画でしたね。かわいいミニMK IIが街中や地下水道を疾走するカーチェイスが見物でした。
 ルパン三世が好きな方なら、どちらも気に入ってもらえると思います。

2011年9月25日日曜日

The Sting - George Roy Hill(1973)

 来年(2012)のロンドン五輪に向けて、先に予選を通過した女子に続いて男子のアジア最終予選も始まりました。スタジアムに響く応援歌を聴いて、「良く耳にする曲だけどなんだっけなぁ」と考えていたら、なんと、映画「スティング」のテーマ曲"The Entertainer"じゃないですか。
 あの洒落たラグタイムの名曲と、うぉううぉうと野太い声で選手を鼓舞する歌が同じだなんて…、衝撃でした。
 甲子園の応援歌でも「なんで、ひみつのアッコちゃん(すきすきソング)なの?」とか思うことがありますが、この選曲も不思議です。
 それはそれとして、「明日に向って撃て!」(1969)に続く監督ジョージ・ロイ・ヒル、主演ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォードのこの映画はいい映画でしたね。全体に流れるおしゃれな雰囲気と、ハラハラ・どきどき・ニヤリ・わっはっはと何度見ても目の離せないストーリー展開。そして、なんといっても主演二人の味のある演技が素敵です。
 ポール・ニューマンの人を食ったようなニヤリ顔。何十年経っても忘れられません。

2011年6月19日日曜日

ウルトラQ(1966)

 ウルトラQがカラー化されました。
 ウルトラマンシリーズと違ってあまり再放送されていないので、白黒でも見たいですが、カラー化されたとなればなお見たい。子供の頃はペギラやガラモン等の怪獣が好きでしたが、年を取って思い出すのは、気味の悪いケムール人や、強大なバルンガ、闇にうごめくタランチュラなど。現実にありそうな怪奇ものの方が思い出深いです。
 白黒だったから怖かった、ということもあるでしょうが、カラー化されてどんな風合いになったのでしょうか。色がついても、あの不思議な感じは残されているのでしょうか。
 Blurayは、割引があっても全巻で4万円以上。今のわたしには痛すぎる価格です。折りたたみ自転車も一眼レフデジカメもどんどん遠くなってしまいます。発売は8月。一ヶ月間、迷いは続きそうです。

2011年3月6日日曜日

BALLAD 名もなき恋のうた - 山崎貴(2009)


 今日も調布映画祭に行きました。
 今日観たのは、あの「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」(監督:原恵一、2002)の実写版。原作が「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」(監督:原恵一、2001)と並び称される傑作だっただけに、あまり期待はせず、つよぽんとガッキーと白組のCGを見に行きました。
 公開直前につよぽんが全裸泥酔事件を起こして騒ぎになりましたが、思えば、あの「しんちゃん」の強烈なキャラを実写化できなかったので作品外で彼がハメを外してみたのかも、なんて。原作と比べてしまえばいろいろ意見もありますが、主役二人の好演は良かったですよ。
 それにしても、前述のクレしん2作は奇跡のような映画でしたね。ハチャメチャなしんちゃんのキャラクターと、大人の鑑賞にも堪えるストーリー展開が破綻無く見事に作品としてまとめ上げられていました。必見です。

2011年3月5日土曜日

ゴジラ - 本多猪四郎(1954)

 調布映画祭が開催中です(明日6日(日)まで)。
 「映画のまち調布」ならではのイベントで、毎年、話題作を無料で見られるのがうれしいです。DVDばかりではなく、たまには大画面で見ないとね。
 今日は「ゴジラ」の第一作目を見てきました。その後の怪獣映画の原点となる記念すべき作品ですが、改めてみてみると、今更ながらにその後の作品との違いが際だって感慨深いものがありました。
 ゴジラに破壊された東京の景色は、空襲の跡のようです。被害者の収容先には野戦病院のイメージがダブって見えます。「お父さんの所に行けるね」と言いながらうずくまる母子、そんな台詞が今の映画に考えられるでしょうか。どの場面にも戦争の影が色濃く落ちています。昭和29年(1954)3月に起きた第五福竜丸の被爆事件が映画製作のきっかけになったと伝えられているとおり、戦争はいやだ、町を焼かれたり愛する人を失うのはもうたくさんだ、というメッセージが痛いほどに伝わってきます。
 直接戦争を描いたものではありませんが、寓意に満ちた反戦映画として、怪獣映画なんて子供だましの色物だと言う人にも見て欲しいと思います。
 ところで、ゴジラに関する委員会答弁のシーンに、煮え切らない発言をする男性議員を「馬鹿もん!」と一括する女性議員団が登場します。一時期、「戦後強くなったのはパンストと女だ」といわれていたことがあったのを思い出してにやりとしてしまいました。

2011年2月10日木曜日

The Long Goodbye - Robert Altman(1973)


 昔、ハードボイルドにあこがれていたことがあります。
 「男はタフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」(レイモンド・チャンドラー「プレイバック」)なんて言う台詞を呟きながらギムレットを飲んだりしていました。若気の至りですね。
 エリオット・グールド演ずる私立探偵フィリップ・マーロウがこの映画のなかで見せる仕草で、「自分にはできないけど、いつか真似してみたい」と思い続けているものがあります。
 ひとつはマーロウが列車のなかを歩いていくシーン。大きな荷物を網棚に載せようとして苦労している人の横を通ったマーロウは、声もかけず、足を止めることもなく手を出して荷物を棚に押し込んでしまいます。そしてお礼の言葉も聞かず、というより何事もなかったかのように次の車両へ移っていきます。親切をしたと言うよりは、邪魔だからどけたのだと言うような顔をして。
 もう一つは、久しぶりに事務所に帰った彼が、机の上にたまっていた郵便物を一切見ることもなくなぎ払って、ゴミ箱へ放り込むシーン。わたしは絶対に買うはずもない商品のDMでも封を開け、請求書が来ればすぐにお金を払ってしまう小心者なので、とてもこんなことはできません。
 もしかしたら違う映画の思い違いかもしれませんが、この二つのシーンが何十年経った今でも忘れられずにいるのです。

2011年1月24日月曜日

めがね - 荻上直子(2007)


 「泣ける○○」という言い方がもてはやされるようになったのは、いつごろからのことでしょうか。"It makes you cry."ではなく、"You can cry with it."。成果主義的というか、欲望中心主義というか、おかしな例えになってしまいますが「抜ける○○」みたいに、作品鑑賞とは別な次元で本や映画をとらえているようで、私はこの言い方が好きではありません。
 泣いたり笑ったり叫んだり、疾走したり爆発したり、そういう騒々しさから離れて、この映画の中ではただただ平坦に時間が過ぎていきます。この映画で「泣ける」人はいないでしょう。退屈、ですらあるかもしれません。
 でも、その「何も起こらない」感が気持ちいいのです。あの不思議な“メルシー体操”にも惹かれます。
 仕事や人間関係がつらくなると、「南の島に行きたい」って言い(思い)ませんか。そんなときの気分にぴったりな映画です。

2011年1月21日金曜日

ニュー・シネマ・パラダイス(Nuovo Cinema Paradiso) - Giuseppe Tornatore(1989)


 私が小学生の頃までは調布にも映画館がありました。今もパルコキネマがあるじゃないかと言われるかもしれませんが、ビルの中に組み込まれた映画「室」ではなく独立した映画「館」があったのです。
 旧甲州街道の布田駅近く、「調布映画劇場」という名前で、ガメラやゴジラの怪獣映画をよく見に行きました。
 甲州街道沿いの入口の両脇には、ガラスケースになった掲示板があって映画のポスターやスチル写真が飾ってありました。映画館はそこから少し奥まったところに建っていて、入口で写真を見てから切符を買ってはいるまでのそのアプローチを、映画への期待に胸ふくらませながら歩いていくのです。
 楽しみなのは怪獣映画だけではありません。真っ暗な映画館の中は、それだけでもわくわくする空間です。その片隅で、予告編や併演される映画を見て、まだ知らない大人の世界への興味を募らせていたのでした。
 私より前の世代の人たちにとって、「映画」あるいは「映画館」は特別な意味を持つようです。誰もがその思い出を思い入れたっぷりに語ります。この映画(の劇場公開版)は、そんな映画懐古世代のハートをわしづかみにします。後ろばかり見ていてはいけないと思いつつも、縁側でひなたぼっこをしながら渋茶を飲んでいる老夫婦のように、思い出の世界に浸って涙していまいます。
 ある映画を見に行った帰り、弟が映画館に帽子を忘れた事に気がつきました。映画館に戻れば、見たかったTV番組(たぶん、キャプテンスカーレット(サンダーバードのあと番組))に間に合いません。「あぁ残念だなぁ」と思ったあの時が、私と映画の、あるいは映画時代とTV時代の別れ目だっただろうかと、今、ほろ苦く思い出します。