2013年10月23日水曜日

老人とカメラ―散歩の愉しみ - 赤瀬川 原平 (1998)

 「口でははうまく言えないけれど、良いものはイイ」と思うことがあります。
 若いうちは何事も頭で考えて言葉や理論で説明しようと努力するのですが、それがうまくできず力尽きた時に、多少の敗北感を感じながらそう言うのです。
 年をとって頭がぼんやりしてくると、 はなから頭を使うのをやめて、あるがままを受け入れ、素直に感動することができるようになりました。それを赤瀬川さんは「老人力」と表現しています。
 ただぶらぶらと歩くだけだった散歩に、「トマソン」や「路上観察学」という芸術論や考現学の考え方を持ち込んだ彼も、老人力がつくと「路上で予想もしないものにぶつかり、(中略)カメラを構えてシャッターをパシン。頭が考えるのはそれからだ。」というような散歩をするようになりました。
 そうして集めた、頭よりも先に体が反応した景色(写真)に、頭とは別のところで考えたような文章が付いています。それが面白い、と言うか、感慨深い、と言うか、何とも不思議な味わいがあります。
 デジカメやカメラ付き携帯が普及して、誰もがスクープでも感動の絶景でもない普通の写真にちょっとした文章を付けてBLOGに発表するようになりましたが、この境地に辿り着くのはなかなか簡単ではありません。
 手本にしたくても真似のできない、でもいつかはこうなれたらいいな。そんなことを思わせる写真であり文章であり赤瀬川さんなのでした。

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