2011年11月4日金曜日

Blade Runner - Ridley Scott(1982)

 誰に聞いてもランキングの上位に入るSF映画の名作ですが、なぜかストーリーの細部を思い出すことができません。目に浮かぶのは酸性雨が降り続く陰鬱なロサンゼルスの街並み。芸者ガール(?)を映し出す巨大スクリーンとそれを取巻くケバケバしいネオンサイン、屋台の日本人の親父とハリソン・フォードの噛合わない会話のシーンばかり。それほどに、この映画が提示した未来観はショッキングでした。
 子供の頃思い描いていた、あのキラキラとした未来はどこに行ってしまったのでしょう。猥雑で混沌とした未来像を見せられて、わたしは途方に暮れました。
 住みづらくなった地球を出て、人々は宇宙で暮らすようになったという設定です。昔夢見ていた宇宙旅行や宇宙都市は実現しています。もしかしたら、宇宙に出て行った方の人たちの世界はキラキラしているのかもしれません。でも、それがすべてでは無いようです。
 残された人々の暮らす街は限りなくアジアっぽい。香港や東京の景色と大差はありません。未来は必ずしも明るくない。われわれは、明るい未来と明るくない未来、それぞれの社会に階層化される。そんな夢のないことを言うなよ、と自分でも思いますが、たぶんそう言うことなのです。
 バラ色の夢ばかりを描いてきた理科系に対する、文化系の皮肉な逆襲でしょうか。実際、地球温暖化や原発事故、繰り返されるテロ、収束しない国際紛争など、現時点ではまだ脳天気な未来像は描けそうにありません。この映画を見た30年前には、まだ、そこまで思い至りませんでしたが、今になってその意味するところがわかってきたような気がします。

0 件のコメント: